人の弱さと向き合う – DIARY WITH GOD
2017.02.18
今日は りゅうくんにいくつかのことを教える機会があったのですが
自分にとっては「聖書に書いてあるのに」と思うことでも
きちんと教えないといけないことは結構あるんだなぁ ということを痛感しました
本人曰く「違うなぁ間違えているなぁと思いつつもそうだったらいいなと思っていた」ということですが
それは確信犯というのだよ?と釘を刺しておきました
自分に都合が良いように解釈してしまえばそれは神様の御心に背を向けることになりますがそれが人の弱さであり
裁く必要はありませんですが 神様の栄光は人の弱さにこそ現れます
栄光が現れるべき場所を敵の巣窟にしないように教える必要はあるのです
例えばですが
地には主が天から追放した霊が存在しており偶像崇拝や占い 風水などの背後に存在する
それらの霊に頼ることは神様の忌み嫌うことだと聖書にははっきり書かれてあるわけですが
聖書の神を信じながら占いで良い結果が出たー!と喜んでいる人に対して
それは神様の祝福を壊す行為だよ?と教えるにはどうすればいいのでしょう
敵に頼るのを止めれば神様が祝福しようと準備されているのに
祝福を壊される行為をすることでそれを手に入れることが出来ずにいることをどう教えてあげればいいのでしょうか
彼等は 人にある神の祝福を盗みます
盗むもの壊すものを自らの領域に招くことをしている人を 更に「裁く」必要はありません
既に自分がやっていることの報いは受けているのですから更に追い打ちをかける必要もありません
(もし裁きたい気持ちが起きるならあなたも背後の霊にやられています)
神様は 愛を持ってそれらのものを避けるように教えてくださっているのです
避けたらご褒美をあげるよとも仰ってくださっているのです
神様を信じて慕っているのにどうして良くならないのだろう?
そう思っている人に対して
神様がやるなということはやめといた方がいいよ
神様の仰ることに応答するなら報いはきちんとあるよと教えたいのですが
どう教えればいいのでしょう?
このことは
お酒で体調や人生を壊している人にお酒を止めるように言って良いものなのだろうか
と 悩むことに似ています
だって そんなことは多分わかっているのです
わかっているであろう人にわざわざいう必要ってあるのかなぁ本人が気付くしかないんじゃないかなぁ
と 思っていましたけど
今日 りゅうくんに話をしていて
言わないとダメなこともあるんだなぁと 思いました…
神様からは(デボーションにて)
言うべきことは聖霊が教えてくれるから大丈夫
と 励まされちゃいましたけどね^^;