神様を体験し続けるということ – DIARY WITH GOD

2016.08.21

神様は目に見えません

なので どんなに素晴らしい奇跡を体験してもどんなに愛を感じる瞬間があったとしても

何も考えずに生活をしていると日常的に起きる目の前の事柄にどうしても引きずられてしまいます

日夜神様と共にいるためには学びと体験の両方が必要です

明日と明後日は 今アメリカでリバイバルの只中にある牧師さんが教会に来てメッセージをしてくれます

リバイバルというのは聖霊が突然 強く濃く注がれてそれに惹かれた人たちが 自然に集まってきて大きな癒しや解放が起きる という

私たちにしてみたら 聖霊をもてなす時間

本物の神様を求めるあらかじめ神様が選ばれている人たちが

神様が定められた時に神様と出逢う 素晴らしい時間で

私たちは その時が来るのを心待ちにしているわけですが

実際にそれを体験して神様の臨在をもてなし続けている方に直接お話を聴けることは私たちにとっては恵みであるわけです

が 同時に

神様に出逢って欲しくない存在にとっては絶対的な権威が来ることは驚異であるわけですけど

聖書では イエスさまはまず悪魔の誘惑にあいますが聖書を引用してそれらをことごとく打ち破りました

そして 私たちに対してはこう言われた

人々を癒し 悪霊を追い出して天の御国(みくに)が来たと言うため全世界に出ていきなさい

そして人々を弟子として私が教えておいたことを教えなさい

癒しと 悪霊からの解放がある時そこはもう天の国 御国なのだとイエスさまは仰いました

ですが 地においては癒して終わり 解放して終わりではなく

癒しが完了するまで癒しを受け続け悪霊を追い出し続ける必要がある

それを学ばないと

その御国の状態を地において維持することが出来ない

人々を弟子として教え育てる必要があることが 新約聖書に書かれているわけです

そしてその「型」が 旧約聖書に書かれている

悪霊は目に見えない存在なのでわかりやすく 目に見える形で書かれているのが旧約聖書だと言えます

新約の時代において

癒しを受け続け悪霊を追い出し続けることはとても簡単です

自分の弱さに 闘うことを諦めて神様の強さに期待すればいいからです

病気の人は 闘病を諦めて神様が癒しを与えたいと思ってくださっていることを知り神様に期待をすればいいし

この世の喧騒に振り回されて辟易している人は自分や他人を裁くことを諦めて神様の愛の平安の中に留まり

神様からの召しを受けてそこに100%身を投じる時に必要は全て満たされるということを体験し続ける人となればよい

そのためには

自分が思う神様に期待するのではなく生ける神様の声を待つことを学ぶ必要があるわけです

神様は目に見えない存在なので

例えば 神様はお父さんですと 比喩的に表現されても

地における肉の父親のイメージを重ねて見てしまうので ずれる

本物の神様を知るためにはこんなお父さんです という話を山ほど聞くか

自分で直接対話し体験するしかなく

聖書を学ぶことは 神様を知ること洗礼を受けて聖霊を貰うことは神様を体験して対話する機会を得ること

この2つを通して

「自分が思う神様」という偶像が打ち破られていくときに

神様との親しい関係が約束の恵みとして花開くわけです

ひとりひとりが

神様の素晴らしさを伝える器として神様の特別な愛を受けます

その愛と恵みを受けなければあなたを通して神様が恵みを伝えようとしている人に神様の愛と恵みが行き届かない

神様の恵みを受けて神様の証人となること

それが 神様の願いで命令で召しなのです

その召しを 受けるべき全ての人が受けますように!(含む自分

アーメン\(^o^)/

—2016年8月23日追記

牧師さんがいらした時の様子を記事にしていますので 合わせてお読みください

本当に奇跡が起きました!

癒しの奇跡(癒しの予告の成就)

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