神様を見出だすところ – DIARY WITH GOD
2019.03.25
一昨日の日記で 今後について神様に聞いて欲しいと
りゅうくんに言ったのですが 完了したことだけ
示されて 今後については語られなかったのですが
まだりゅうくんが受け取る時ではないだけで
神様の方を向いていないわけではないから
大丈夫だよ と示されていたので
そのうちりゅうくんを通して示されるのだろう
とは思っていたのですが
思いの外 その示しは早くやって来ました
それはりゅうくんのQTで語られたのですが
りゅうくんは 私の質問の答えがそれだとは
気付かなかったようでした
(祈ったことの内容をりゅうくんには
伝えていなかったので当然ですが)
全文を書くと長くなるので要点だけを書くと
もしそこに神様が示した道があるなら
そこで神様を見付けることが出来る
それを見付けることが出来なかったのなら
そこには導かれていないのだ
ということでした
それを聞いて マザー・テレサが言っていた
彼女の活動に対する言葉を思い出しました
死にゆく浮浪者を助けて何になるのだ という
質問に対して 私たちが助けているのは
浮浪者ではなくイエスさまです と言ったのです
死にゆく人に対するイエスさまの思いを
実行するものとして 彼女たちが
選ばれているということの証拠だと思います
また あるウェイトレスの話も思い出しました
どんな失礼な客でも イエスさまに遣えるように
接することで喜びと謙遜に満ちるというのです
この事も 神様がそのお店に彼女を置かれた
証拠だと思います
誰もが同じ場所で同じ様に神様を見るわけではないし
どんなに自分がその場所に興味があったとしても
神様を探して 見付けることが出来ないのなら
そこは 神様が用意された道ではないのです
イエスさまに遣えるように働くというのは
決して思い込みや形骸的な戒めなどではなく
本当に そこにイエスさまを見出だした人たちが
喜んで遣えているのだということが 今ならわかります
また 逆説的に言うなら
思いがなくても興味がなくても
そこに神様を見出だしてしまったなら
それは神様が用意された道なのです
私はこっちの方が断然多いですが
それは自分が何かを素直に求めることが
出来ないまでに歪められてしまっていたので
自分の望まない道を示される方が 動きやすく
変な霊的戦いに入らず済んだからだと思います
振り返ってみると そういうことだったか と
思い当たるようなことがたくさんあるなぁと
しみじみ思っていたわけですが
今日は早速 この事が深く腑に落ちるような
出来事がいくつか起こりました
ひとつは 私にとっての新しいチャレンジについてです
実はその事は始め 私に対してではなく
りゅうくんに対して示されていたので
てっきり りゅうくんがやることだとばかり
思っていたのですが そこはりゅうくんの
道ではないと神様がはっきり示されたのです
とは言っても全く無関係というわけではなく
りゅうくんがこの件でやるべきことは
霊的なサポートであるということでした
りゅうくんが示されたのだから
私がりゅうくんを支える立場になるのだと
思っていたのですが 全く逆だったのです
しかし 今回の件でりゅうくんが
神様を見出だせなかったという経験が
りゅうくんの成長のためにとても
重要だと神様は示されたので
この様な勘違い(というか行き違い)が
起きたところから 正しい道へと
修正されることも神様のご計画だったと思います
これらの事は 私が先日示されたミッションである
神様から預かったものの管理と深く関係があるので
私のやるべきことだけではなく
りゅうくんのやるべきことと
お互いの立ち位置についても明確になり
本当によかったと思いました
そして今日 初めて私一人でその事柄を
やってみたのですが びっくりするぐらいに
平安があり 霊的に物凄い穏やかで
何よりも 喜び 嬉しい 楽しいという思いで
満たされたのです
これだけ穏やかな中で出来るのであれば
本当に 何の心配もなく聖霊さまの示しに
耳を傾けることが出来るな と思いました
何より(恐らくりゅうくんの背後にいた)
完璧主義が行きすぎて破壊的になるような
異様な雰囲気が一切なくなったので
今回の件で それが私たちの間から
完全に締め出されたのかもしれません
(先日 完了した云々と言っていた時に
それを背負って死んだ感じがしたのですが)
1000日目の日記を書く今日にその
新しい出発が重なったことは
全く偶然ではないと 本当に感謝をしました
またもうひとつ 昨夜のことですが
りゅうくんが春巻きを作って欲しいと
言い出したので うわまた面倒なことを と
思いつつも 神様の方を見ると
え?作らないの?という雰囲気だったので
諦めて作ります と心を決めました
会社帰りにりゅうくんと買い物に行くと
揚げ油が勿体ないからついでに
てんぷらも作ろうという話になり
りゅうくんが20時出勤なのに 間に合うかなぁ
と 思いながらも作り始めると
神様と一緒に食事の準備をする時特有の
心からの喜びと 嬉しい 楽しいという思いが
沸き上がってきました
最初は 台所狭いし準備が大変という
現実的なことしか思いませんでしたが
そこに神様を見いだすならそれが道なのだ
ということを本当によく理解出来ました
この喜びと 嬉しい 楽しいという思いは
何にも変え難い神様の賜物であり
りゅうくんが 春巻きを食べたいと
言ってくれなかったら体験出来なかったので
りゅうくんにも ありがとうね と
本当に心から感謝の思いを伝えました
勿論 りゅうくんにとっては本当に
食べたかったわけですから
自分がお礼を言う方であって 何故自分が
お礼を言われるのかと思うのはわかります
以前のりゅうくんならこういう時必ず
不機嫌になっていたのですが
今日は ただ受け取ってくれたので
その事もよかったな と思いました
神様がいらっしゃる方向へと自分の器を
広げる機会が与えられることも恵みです
たくさんの恵みに溢れていることに
心から感謝をします♥️