頼りにするもの – DIARY WITH GOD

2017.01.20

神様のみ恵みを受けるために私はどうすれば良いですか?と質問する人がいたら

自分が愛されていて神様が全てを与えたいと思っていることをただ信じて受け取ってください

と言います

もしそれが受け取れないのであれば理由については聖書に書かれています

先に書いたパフォーマンス志向の話(「人ではなく神を見る」の真意 参照)でも触れましたが

神様のみ恵みを思う時 どうしても神様のみ恵みを「自分の行いに対する報酬」であるかのように考えてしまいがちです

ですが 聖書にはこのように書かれています

ヤコブの手紙4章2-5節あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

この聖句は 大変厳しい表現をしていますが逆を返して言うなら

神の御国を愛して正しい動機で願う全てのものは与えられるという約束があることを現しています

聖書で言っている「この世を愛する者」とはどういったものかを見てみましょう

ガラテヤ人への手紙5章19-21節肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。

そしてこの世には 病があり貧困があり差別があり争いがあるのです

対して 御国の文化とはどういったものでしょうか

ガラテヤ人への手紙5章22-23節しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。

そして御国には病がなく貧困がなく差別も争いもありません

もし この世の中で負け組を踏みにじって勝ち組になりたいと考えるならそれはこの世を愛する者の考え方です

或いは 人は弱くこのような性質は無くならないので共に生きるべきものだと思うのであれば それもこの世を愛する者です

もし 自分の子どもが陰で盗みをしていたら人は弱いから盗んじゃうのは仕方がないよねと言う親がいるでしょうか

盗まないようになってほしいと思うのが愛のある態度であると思います

悪事を容認する態度というのは愛のない態度なのです

ですが 御国の文化に生きたいと願うのであれば神様はいつでも そういう人と共にありたいと願われています

人には無理でも 神様には出来ます

そのように生きることが出来るかどうかではないのです

そのように生きたいかどうかそのような世界に生きたいかどうかなのです

人が自分の努力で聖く正しく生きようとするならそれはただの宗教であり神様の栄光を現す生き方ではありません

ただ 求めればいいのです

ただ 神の御国を恋い慕いそれを求めるものを神様は喜ばれます

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