思いを用いられる神
ここ最近 神様から頂いた知恵知識の扱いについて自分自身の考え方に変化がありました 知恵知識というのは ただそれだけでは役に立つものではありません 悪い心で扱えば悪知恵となり利己的な心で扱えば他人の害となり偽善的な心で扱えば嘘になります 愛と善意 誠実さと義が伴うことで初めて意味があるものになる 知恵知識というのは 扱う心によって良いものにも悪いものにもなるのです また 仮に知恵や知識をどんなに蓄えても用いなければ全く意味を成しません 行動して結果を出して初めて知恵知識は意味があるものになるのです 今まで 私は人の心についてはあまり口出しをしようと思ったことはありませんでした ですが最近神様に促されるのは心について教えることがとても多いです しかし 良い心というのは平安に留まることで得ることが出来るので 自信がない人 不安がある人に良い心に留まることを教えるのはとても難しいことだと思っていました もし不足しているところがあるなら神様に強められて貰うしかないわけでそれは本人と神様の関係なので私が口出し出来るものではないと思っていたのです ですが ふとしたきっかけで もしかして 神様に聴けば言うべきことを教えてくれるのかも? という思いが与えられました で 聴いてみたのです すると 神様がとーってもそうそう それを待っていたよー♪ という感じで 神様の思いを色々と教えてくださいました あ 私が自発的に尋ねるのを待っておられたんだ^^; と 思いました 知恵知識に対する虚しい思いを克服出来た瞬間だったと思いました 結局 解決は全て神様にありそこには愛が溢れているんだなぁと思いましたが それを決して 押し付けることなく私がそれを求めた時に初めて与えてくださった そのことにとても感動をしました ああ 本当に神様は人の思いを尊重していらっしゃるのだなぁ… と思いました