天国文化と幸いな人生

2016.11.24

2日目-1

簡単なエクササイズがあります

昨日大切なことをピーター先生はわかちあいました御自分の席に座ってやっていただきたいことがあります

2つの質問に対する答えを分かち合ってほしい

昨日来た人は初めて聞いたと思ったことは何でしょう1つだけ分かち合ってください

心の中でたぶん真理じゃないかと思っていたけどやっぱりそうだったと確認出来たことを1つだけ分かち合ってください

たくさんあるかもしれませんが昨日参加した人が聞いたことから分かち合ってください

後から学んだことをフィードバックしてください

昨日の両方のセッションに出た人はいますか?良いことです

昨日の話を土台に深めていきます

神様の御心に従って全世界の神様のご計画の中の日本の役割について話していきます

それが終末とどう関わっていくかも

キリスト信仰の中心バランスを欠いているので回復しなければいけない

信仰と行いの緊張関係とそのバランスです

信仰と行いは一つの真理の両面を語っているということがこの話の後にわかると思います救われるためには両方が必要で片方だけで立つことはできません

昨日の話の中で一番主エジプト19:5-6

国家としてのイスラエルの召し

イスラエルの召しについてパウロは語っていますローマ11章賜物と召命は変わることがない

イスラエルをご自分に遣えるために召したことの考えは変えるつもりはない

個人の召しとそれに対する応答

生まれる前に決めておられる計画を変えるつもりはないあなたが従うかどうかであなたには自由が与えられているそれは神に似せて作られた自由で選択をするという責任がある

召命と賜物についてお考えを変えるつもりはないそれは良いニュースでもあるもし私たちが失敗をしても神は私たちを捨てないということです

倒れたとしても神は考えを変えていない

腕を捻じ曲げてでもご計画を達成させようとはしない稀にしか行いません

イスラエルは国家として選ばれた

神様の見方では御国とは社会でもある

社会には大事な宗教的な部分がなければならない

でも宗教は神の御国のあくまでも一部

社会のあらゆる部門から私たちを召し出す御自分の御国を社会に注ぎだしたいから

もしあなたの社会に水曜日の午後3時半に日本橋に再臨するとしたらどうしますか?

イエスさまが再臨して歩道に立つのです

人々は速足でオフィスに向かい車は行きかうほんの一握りの人がイエスさまに気付き彼を囲む 何をしているんですか?

私は帰ってきた私の民はどこにいる?

水曜ですよ?水曜の午後ですみんな忙しいです誰からも聞いてないんですか?主よ 水曜日はやめてください日曜の朝に再臨してください日曜の朝じゃないと困ります

牧師もワーシップチームもいますよ

と 笑い話ですけど多くのクリスチャンがそういう生き方をしているということです

宗教的な部分だけを治めるため戻ってくるのではない単なる宗教的なものではなく政治的な変革です地上にも大きな影響があると思います世界の終わりですよ?

王権のためにイエスさまの国家を準備するそれがイスラエルなのです

信仰の土台にイスラエルを据えることができれば教会は新しい建築 構築をすることができる

イスラエルがおさまるべきところにおさまったら教会はイエスさまを設計するものとして使われた賢い設計者

聖書はギリシャ語を翻訳しているわけですがアーケテクトン

アーケ masterテクトン 建築者

アークエンジェルも同じ使われ方

所有者ではないですビジョンを持っているのは所有者です

建築家は所有者からビジョンをもらう相談して建築家が建築者に伝えて建てさせる

パウロは自分のことを建築者だと思ってくれと言っている

後の人は気を付けてと言っている土台は私が建てたがコリントの人に警告している

土台はイエスキリストだがエペソの人々に礎石であると言っている

角の角石は大切でこれがずれるとすべてがずれる

土台は預言者や使途だと言っている今日使徒的であるとか使徒的であるといわれる人を言っているのではなく

使徒とか預言者というのは特定の人を考えていますtheがつく旧約聖書に出てくる特定の預言者たちのことを言っている

theを付けて使徒と言っているのは特定の人です個人的にイエスさまと歩いた11人です

パウロは自分も使途に加えられたと言っている

theがつくとき特定の人

イエスキリスト 使徒 預言者共通するのは何でしょうイスラエルから来ているということです

偶然でしょうか

イスラエルをセメントのように考えるといいと思います

教会での職業であれ宣教であれこれが土台になっていなければならない

召命と賜物を見つけて実践してください実を結ぶということです

そこは大事なのでもっとフォーカスします

良い働きと死んだ働きには違いがある

神様のために何でもいいからやってそれが認められると思ってはいけない

土台の上に金銀宝石と木やわらとどう見分けることができるか

生きているか死んでいるか

エペソ2:8

神からの賜物です行いによるのではない誰も誇らないためです

2:10良い行いも備えられているこの聖句は鍵です

神はあなたに計画をもって夢を持っているその実を結ぶことを期待しているしかも情熱まで植え付けてくださっていて人生に情熱が出るようにしてくださっている

それをあらかじめ備えておられるのです

実は私が知らなかったのはそれをエクササイズで使うことでした

生きた行いとは生まれる前からあなたにしてほしいと願い計画したこと

死んだ行いはそれ以外のすべてです

あの人を喜ばせその人を喜ばせようと行うものはすべて死んだ行いです

ある程度収入を与え幸せになるかもですが神様の前で申し開きをするとき神様にとってそれは関係ない

神様の目的以外をしてもいいのですが忍耐と愛の方で待ってくださるが賜物と情熱に火が付くことはない

その歩みに入れば喜びが来ます

神様の顔に微笑みを見るには永遠の王国に向かい入れられるには信仰と行いの両方が必要です

信仰も必要ですがあなたが自分の手で生みだした何かをもっていかなければならない

2つの救いのメッセージがある

1つは主に異邦人に書かれているパウロによって書かれた手紙に特徴づけられる

パウロは異邦人の社会に遣わされたイスラエル人です

トルコ マケドニア ギリシャ異教徒に手を差し伸べた悪霊や石を拝む人で神という意味も分からない人々です

彼らに神に認められて神の国に入れますよという許可が与えられた

ユダヤ人はみ言葉をいただいて1000年たっていますユダヤ人は長くみ言葉をいただいている

ユダヤ人には正しく理解することが期待されている

異邦人に対してはそれを知る必要はないただ信じてくださいと言っている

信じるならその信仰により神の国に入り1000年神と歩いたユダヤ人と肩を並べます

異教徒ではなく神の国の信徒になります神は恵みを注いでいるのだからただ信じてください

これは完ぺきな救いのメッセージです

伝道者の後に暗殺者がついてくればそうなります

告白したとします暗殺者が来て撃ち殺したら心配ない 即神の国に入る

しかしそうならないのが問題です

信じます 神の国に入りますそして生きなければいけない仕事もしなければならない神様助けてください

罪も犯すし間違えもする救いは一生の者です

今から始まる永遠の人生ですがこの地上の命も含まれるわけです

もしあなたが殺人者で救われたとするその後も殺人を続けたら(それが仕事だから

そのままでは神の国に入れません

一旦神を受け入れたらそのままでいいなんて言えるでしょうか

そんなのは家を売って玄関のドアだけを与えるようなものです

家はどこですか?生涯住むことができる家を買ったつもりですが

ドア大事でしょ?と言っても家が欲しいですと言われます

ピリピ 恐れおののきつつ自分の救いを達成しなさいと書いてある

彼らの任務 ドアをくぐらせるだから彼らはそれを達成しました

相手がユダヤ人になったら全く違うメッセージが出てきます

あなた方は結ぶべき実を結んでいません実はどこにあるんですか?

いちじくを呪いました呪った木は枯れた

いちじくの何が悪かったか実がなかった

行いがなかった

新約聖書の中にあるユダヤ人への福音を提供したい

私たちに与えられているみことばからどう生きるかがいかに重要か神の国に入りたいならですね

良い行いと死んだ行いの違い

神様のために何でもいいからしようと思わないでください

ルカ10:25良きサマリヤ人

ラビ(若い律法学者)どのようにしたら救われますか?

イエスは質問で質問に答える

あなたはどう読んでますか?聖書になんて書いてあるかあなたは専門家なのだから

神を愛せよ隣人を愛せよ

ここで613の命令から2つを選んでいますレビ記 申命記からです

イエスさまもこの2つを選んでますよねマタイ22章でこの2つにかかっているとイエスさまが言っている

若いラビがそれを聞いていただろう答えを言っている

その通りです それを実行しなさいそうすればいのちを得ます

イエスは信じなさいとは言っていませんこのラビは当然信じることは期待されている

強調点は 信仰ではなく行動・実践に重きを置かれている

ラビは自分の正しさを示そうとしてさらに質問をする

では私の隣人とは誰ですか

海抜700mにエルサレムはあるエリコは海面下40m

坂を下りていくとユダヤの荒野で天候が変わる

バスで行くとここが海面の高さですと書いてある

イエスさまが言ったのは長い坂を降りていくという話で盗賊いるし危険な道です

そこで襲われ半殺しになった人がいる

祭祀はここに来て正しいことは何かと考える

もしこの人が死んでいたら夜までけがれてしまう祭祀の仕事ができない

決断をしますその人を避ける

そして頭の中で僕は正しいことをしたと考えるだろう

今でもユダヤ人の大祭司の家系は友達が死んでも葬式に出られない家族の場合だけ例外的に出ることができる

次にレビ人が来ます祭祀です

彼も同じことを考えただろう

何よりも神に仕えることが正しいと思っているに違いない

だからその人を避ける

サマリヤ人はユダヤ人から憎まれていましたヨシュアの時代 12部族から分かれて出たからです

彼らは聖書の一部だけが神から出たものだと信じる人でサマリヤのゲムジル山で礼拝するものだと思っていたので異端者です

イエスは井戸でサマリヤの女にあい彼女の考えを正したヨハネはそれを記録した

ユダヤ人はわかって礼拝している何故なら救いはユダヤ人からくることをわかっているからです

ラビに教えるためにあえてサマリヤ人を使う間違えた信念を持つ人です

全てのユダヤ人はサマリヤ人は正しくないと同意する

しかしそのサマリヤ人はすぐ憐みを覚えて躊躇せずに倒れている人のところに行き息をしていたので助けてロバに乗せて宿につれていきお金払うから見てくれというもっとお金がかかったら支払うからと言う

3人のうち誰が怪我をした人の隣人になったでしょう

憐みをかけた人です

サマリヤ人と言いたくなかったのかもしれません

イエスさまは同じようにしなさいと言われた信じなさいとは言わなかった

サマリヤ人の信じることはしてほしくないでも行いはしてほしいのです

「どうやったら天国に入れますか」という質問だった

ここでは信じることが良い行いを妨げていることが示されているこれを理解するのはとても重要

神があらかじめ備えた良い行いをしていないと言っている

全聖書をいただいて2000年が経ちましたマウスクリック1つで注解書が無料で読めるようになりました

正しいことが信じることができないという口実はありません

エペソの人のようになってしまった且つては除外され望みもなかったクリスチャンには光があり真理を知ることが出来る時代

土台の中に据えてほしい最初居心地が悪いと思うだろう

神様のために正しいことをするということは選択の余地がない

その家に住みその家を建て上げなければいけない

マタイ25

マタイはユダヤ人に向けて書かれた25章は24章の次に来るから重要です

24章は再臨や印について弟子が聞く25章に入るともうすぐこの関係が終わることを感じ取れる

25章には力強い教えが3つすべて同じテーマ再臨と裁きと永遠の報いというテーマです

おそらくオリーブ山の24章の続きだと思う

最初は賢い娘と愚かな娘の話

花婿が来るのを待っていたともしびをつけていたら花婿といっしょに行ける

5人はすぐ来るかもだし時間がかかるかもしれないから油は余計に持っておこうと考える

他の5人はすぐ来るだろうと今だけのものを持っていた

花婿は来ない

余分に持っていた人に分けてくださいという

そんなことをしたら私たちの分もなくなってしまう自分で買いに行ってくださいという

町に行き買おうとするその間に花婿が来る

5人の娘が戻ってきても入ってはいけない帰ってくださいという

この10人はみんな同じことを信じていますともしびがともっていたら花婿といっしょに行けるみんな花婿と一緒に行きたいと考えていた

花婿を信じていた全員信者です

賢い娘は賢い決断をして別のことをした

ユダヤ人の福音へようこそ永遠に私たちが行うことです

次はタラントの話です

5タラントは相当な額です2タラント1タラント

それぞれの能力に応じて与えたと書いてあります

旅から帰ってきて管理したものの報告をしてくださいと言う

こんな大金は見たことがなく正直怖かったしかしマーケットプレイスに出ていき信頼できる人のネットワークを作った見てください 5タラントが10タラントに倍になりましたよ!100%増えたのだから悪くないですよね

よくやった 良い忠実なしもべだ私が与えた少ないものを忠実に守った

主人と喜びを共にしてください

再臨と裁きと永遠の報いについてです

どうして2タラントだったのかわかりませんがとにかく私もマーケットプレイスに行き一生懸命働き信頼できる人のネットワークを作り4タラント倍にしました 100%にしました

よくやった 良い忠実なしもべだ同じことを言われる

1タラントの人主よ 私はあなたとは違いますあなたはずる賢い方だ市場が下がっているのにそこから儲けを取ろうとしている

私は怖かったので埋めておいたそれはここにあります同じものです 失いませんでした盗みませんでしたあなたがくださったそのままをお返しします

役に立たないしもべは外へ追い出してしまいなさい

皆さん ユダヤ人の福音へようこそ30倍60倍100倍にすることを期待されているのです

神様はあらかじめ良い行いを備えてくださっているトップに立つことが出来るのです

どうして世代から世代へただ信ぜよ これとこれを祈って週に1回2時間だけここに座ってくださいと教えてきたのか

イエスさまに微笑んでほしければイエスさまによくやったと言ってほしければ

微笑む前に何か質問をするのではないでしょうか

私が恐れるのはクリスチャンがその場に立って何をすればいいんですか?そんなこと知らなかったですそんなこと言われませんでした

何かをする?どういうことですか?

イエスさまが 誰がそう言ったんだと牧師がそう言ってました

牧師がまず取り扱われますね

教師や牧師が厳しくさばかれると書かれているのはこういうことです

教えないのは真理を語ったら来週から礼拝に来なくなるという恐れからですか?

ユダヤ人の福音は一貫性があります旧約聖書のもう片側です

我々はそれを読まなかったり教えなかったりします

それが出来なかったら神の国をもたらすことはできません

何百万祈ってきた国家的覚醒を見ることが出来ません

祈った後出ていかなければいけない一生懸命働いて社会に出なければいけない

そうしたらあなたを頭にするのは神様の責任です

まだ賜物と召命がわからないどこからやればいいかわからないという人もいると思います

そういう人のために3つ目の教えを含めたのだと思う

省略して話しますが32節 羊とヤギとに分けて羊に御国を継ぎなさいと言う

最も小さい人に水を飲ませたり食べ物を与えたり服を着せたり

自分より小さい人をどう扱ったかにイエスさまは興味がある

隣人に気を使ってください探さなくてもそこにいるのが隣人です

自分より少ないものを持っていて助けようとすれば助けられる人がいます

もしあなたがそうするならもっと世界を広げてあげますよ

そしてよくやった 良い忠実なしもべだ主人と喜びをともにしてくれ

ヤコブの手紙1、22:14 信仰があっても行いがなかったら何の役に立つでしょう

意図して新約聖書の聖書個所だけ引用しました

新約聖書は私たちの聖書です旧約聖書だけ切り落としたって新約聖書はクリスチャンに向けて書かれている

み言葉は神の霊感で書かれているというだけではなく信じています

ということは

ヤコブが語っているのではなく神様が語っているのです

誰かが自分には信仰があると言っても行動が伴っていないなら「いいえ」です

信じるものは私たちを罪に定めるためにではなく自由にするためにあります

何かを達成したい何かに価値を見出したい

そういう人たちに信じて座っていなさいその座る人を増やすことが成功だと思っているのであるなら実を結べません

出て行って行いをするのを見なければいけません

実をもって技術者になれるビジネスマンになれる実業家になれる起業家になれる

信仰と仕事は両立できる

聖書的福音を回復しなければいけない選択の余地があることではないどうしてでも見つけなければいけない

宗教的プロ(牧師)はそれを助けなければいけない

何故なら私の裁きと報いはあなたがたの成功にかかっている

実を結びなさい実を見せなさい

それがわかると私たちは気が狂ったかのように成長します

あの人たちすごい!となるなんかわからないけどあの人たち最高なに信じているか知らないけどあの人たちのようになりたい

みんなが聞きに来るどうやってるんですか?

あなた方の光を輝かせなさい

良い働きを見て天におられる父をあがめさせるため

整えて達成させていくそうすると神様は強くて達成する人を与えてくれるそれは私たちが弱い人を助けるからです

他の社会からうらやましがられるようにどうやったらそこに入れますか

神様はすべての人をケアしているそこには主の喜びがある情熱がある自分たちがやっていることが楽しい死にそうになって働いているのではない

どうやったらそう生きられるのですか?と未信者が聞きに来なければいけない

黙示録19:6-8

麻布は聖徒たちの正しい行いと書いてある信仰とか説教じゃありません行動 実際に行ったことです

この種を心の深いところに植え付けてくださるように祈りましょう過ぎ去ることなく実を結ぶように祈りましょう

良い行いを見出す動機付けになるよう祈りましょう

私たちは永遠にイエス様と共にいたいという良い行い賜物召命を見出すことを

それを行うと誰もあなたを止めることが出来ないどんな敵もあなたを止めることはできません山もどきます生まれる前から決まっている永遠の命なのです

小さな信仰を持っているだけでも山は動きます全てのクリスチャンがそのような人生を見出してほしい

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