季節の変化 – DIARY WITH GOD

2017.01.22

新しい年になってまだ一か月も経ちませんが我が家には新しい季節の香りが漂い始めました

と言っても 短いスパンでの変化ではありません人生の転換期です

神様の御心

私は若い頃 外に情報を探しに行きましたそれは自分の人生や経験の中に答えがなかったからです

ですが実際は 外にも私が求める答えはありませんでした

しかし クリスチャンになっても外に情報を探しに行く癖はすぐには抜けませんでした

クリスチャンになり私が求めていた全ての答えが聖書に書いてあることを知った時

必要とする人の元に聖書の神様を伝えたいその為に何をすればいいかと考えて私は外に行こうとしました

自分が得た素晴らしいものを外に伝えるためのノウハウを学ぼうとそのことで成功をしている人のところへ行こうとしたのです

ところがそれは すぐに神様からストップをかけられてしまいました

そして神様が私に与えたいものが一方的に(怒涛のように)降ってきました

その体験の中で 私は神様の御心を知りました

愛を知って欲しい愛を受け入れて欲しい癒されて欲しい与える全てを受け取って欲しい

どれ程にあなたを愛しているかどのようにあなたを愛しているのかそのことをまず知って欲しい

そして

全てをあなたに与える力ある神に全てを頼って一緒に歩いて欲しい

それが 神様の御心でした

聖書は素晴らしい書物で私が知りたい全てが書いてありましたがそういった理解だけでは不足しており

生ける神を知り 交流をして恵みを受けて共に歩くことを学んで欲しい

それこそが神様の真意であり神様が人を造られた理由だったのです

聖書は確かに素晴らしい ですがこれは神様と歩くための書物であり

ただ書物の素晴らしさを伝えても意味がない神の臨在が無ければ全く意味がなかったのです

そして それを人々に伝える方法もこの世の方法をわざわざ学びに行く必要はなかったのです

何故なら それは神様の方法で成し遂げられるからです

自身のアイデンティティ

今日 礼拝に行きメッセージを聞いていた中で

先日のヒーリングスクールの講師であるクリスゴア牧師に

祈られた時は癒されるのに暫くするとまた痛みが戻ってくるのは何故なのか質問をした

というお話がありました

(ヒーリングスクールの様子は聖会アーカイブ参照)

それを知るには恵みに対する理解が大切であると言われたそうです

神様の癒しは一方的なものです良いことをしたから 代価を払ったから癒しが起きたのではありません

自分がその恵みを受けるのに相応しくないのではないか と疑った瞬間に 痛みが戻ってくるのだそうです

恵みを手放してしまう嘘を信じ神様の御心を疑った瞬間に恵みが離れて行ってしまうのです

自分が相応しくないのではないかという思いは多くの人が抱くものです

それは 例え世界を飛び回るような牧師さんであってもです

何故なら 神様はご自分の栄光を現すためその人にとても相応しくないと思わせるほどに大き過ぎるみ恵みを注がれる方だからです

もし 人が自分の範囲以内の恵みを受け取るなら自分自身の行いが良かったと勘違いをして自分を誇るようになるのです

ですが 自分には相応しくないと思うような大きすぎる恵みが来る時 人は神を恐れるのです

平安の中で受けるみ恵み

この話を聞いた時に

ものすごく腑に落ちるものがありました同時に 物凄い平安と癒しがやってきました

そして その平安の訪れと同時に

祈るというほどではないにしろいずれは動かさなければいけないなぁと思っていたことや

このように変わるといいのになぁと祈っていたことが

実りの時を迎えた知らせがいくつも入って来たのです

また 今まで自分のことについては祈るように示されつつも なかなか祈る気持ちになれなかったのですが

突然 何についてどう祈るべきなのかが具体的に見えてきました

ですが それと同時に

今まで自然に自分の中に普通にあった欲求が大変薄れていることを感じました

平たく言うと

食事をしなければいけないけれど何を食べればいいのかわからない

という感覚です

以前 重荷から解放され自由になった時も一瞬 自分が何をすればいいのかわからなくなった時があったのですが正にそんな感じです

数日すれば慣れてくると思いますが

手に入れた自由を神様のために用いることが出来る大きなチャンスなので丁寧に扱っていこうと思います

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