人の悪意を無視される神
イエスさまは 神でありながら人としてお生まれになりました そのことを知っていた悪魔はイエスさまを見るとひれ伏し助けてくださいと懇願し出て行けと言われると即座に逃げていきました ですが イエスさまがいらしたことで自分の地位や立場が脅かされた人 聖書を教える立場である祭司たちは自分たちの不正を指摘するイエスさまを妬み 殺してしまいました このことから読み解けることは神様には悪魔に対し 絶対的な権威があること そしてもうひとつ 神様が望むものでも書いた通り 人には自由意志が与えられており神様に立ち返らない自由も持っている ということです イエスさまに対するイスラエル人の裁判はイエスさまを死刑にするために偽証をする証人を何人も呼び集める というものでした 多くの偽証がありましたがイエスさまは黙ったままで何もお答えになりませんでした 裁判で偽証される経験をしたことがある人はなかなかいないかもしれませんが 言ってもいないことを言ったと言われるなど身に覚えのないことで責められて不愉快な思いをしたことがある人はいるのではないかと思います そういう時 多くの人は何らかの形で言い返すと思いますがしかしイエスさまは裁判の場で偽証に対してはずっと黙っておられました イエスさまは イエスさまのことを試そうとして来る人々に対しては その悪意を見抜きそれを指摘しながら真理でお答えになられました 同様に 裁判の場であっても 「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」 という問いかけに対してだけは 「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」 と お答えになられました そもそもで 裁判において訴えが事実であるかどうかは裁判所が検証することです 天の国においては神様が裁判官であり全ての出来事 全ての関わる人の心をご存知です 事実はどうであったかその時どんな思いであったかなどは主張する必要はありません そんなことは神様が全てご存知です 私たちがもし 人を見ず 悪魔を見ずに神様の方だけを向くのであれば 神様は全てをご存知であるから偽証について言い返す必要はありません 故に イエスさまはお答えにならず その姿勢を模範とするようにと私たちに語り掛けているのです このことは 感覚で言うならだいぶん前に示され掴んだものなのですが 人に伝えることが課題です引き続き祈り求めて生きたいと思います