癒しの導き – DIARY WITH GOD

2016.12.15

ここ何日か 睡眠の中で大きな癒しを頂いているらしく

目が覚めた瞬間に 神様とイエスさまと聖霊さまにぎゅーっとされている感覚があって

なんだろうーと思っていました

思えないなら思ってもらう

最近 神様からの癒しの示しについて一つだけ気になっていたことがありました

自分自身は全く意識していないのに牧師さんや聖会のスピーカーを通して神様が 特別に奇跡を起こしたいと示しておられる箇所があったのです

ですが私自身は その痛みに対して疎ましさも不快感も感じることがなくその痛みが無くなることに対してあまり積極的な気持ちはありませんでした

でも 神様は その痛みがある箇所に奇跡を起こしたいと思っておられると幾度となく示してくださった

なので 頑なになることなくそのことに感謝をして穏やかな気持ちで向き合おうと思い

今朝りゅうくんに その痛みについて祈ってもらえないかとお願いをしました

その場で癒しを祈ってもらうという意味ではなく気にかけておいてもらえないか という意味です

自分で望むことが出来ないのであれば自分の力や思いに頼るのではなく私を思ってくれる人にお願いするのが正解だと思っているのですが

その判断は 正しかったようです

神様の導き

今日は 特に痛みが強く違和感が取れなかったのですが

何故かそのことに対して平安を感じていました

夕方になり買い物を済ませた時昼から何も食べていなかったことを思い出し

どこかで食事をしようと思ったら神様から その時にいた建物の中のお店で丼ものを食べるように と

ものすごく具体的に内容を示されました

しかしレストランフロアに行ってみると「ここではない」という感じがしたのでおかしいなぁと思っていたら

普段全く行くことがないフロアの端の方にある喫茶店に 丼メニューがたくさんあることがわかりました

店内は木を中心にしたシンプルな内装で時間的にあまり人もいなかったのでとても落ち着ける雰囲気でした

木に囲まれて とても癒される気持ちでした

イエスさまのビジョン

店内の内装は 見た目的にはシンプルで何もありませんでしたが

ビジョンの中でイエスさまが内装に飾り付けをされるとそこはクリスマスの雰囲気になりました

まるで幼稚園や保育園のような雰囲気でとても幸せな気分に包まれました

そんな中で 次の織物のデザインに新しいアイデアを頂いたりしながら閉店ぎりぎりまでくつろいでいたのですが

お店を出て エスカレーターに乗った途端にある思いが強く与えられました

それは 私が失ったものに対する愛おしさでした

今まで 仕方がなかったとしか思ってこなかったことに対して

大切な 愛しいものを失ってしまったのだ

と いうことを はっきりと自覚したのです

涙が止まりませんでしたお店の中なのにーと思いながらでも 全く涙が止まりませんでした

とっくの昔に諦めたと思っていたのに

否 諦めてしまっていたからこそ神様は思い起こさせようとされたのでしょう

諦めるなー 思い出せー と励ましてくださっていたのでしょう

諦めて 封じ込めてしまった愛を思い出せと励ましてくださっている

愛がないのではないただ諦めてしまっているだけだと心を呼び起されるように感じました

欠けていた感情を取り戻したようにも感じました

編み物に宿るイエスさまの愛

その後 新しく示された作品の材料を買うため違うお店に移動をしたのですが

その時に カバンの中や帽子などのイエスさまに示されて作った編み物にとても暖かい愛を感じ

イエスさまの愛が宿るものに囲まれていくことは なんて幸せなのだろうと思いました

編み物や織物を通してイエスさまの愛を形にするお手伝いをしているのだとしたらなんて素敵なのだろうと思いました

帰宅して 神様から示されたことはこのようなことでした

わたしの心は まず家族の愛にありますそこで愛を受けることが出来なかった子どもたちがどれ程に傷付いた人生を送ることになるでしょうあなたに必要な癒しは家庭の中にあります家族関係の中にありますそして周囲を見渡せば そこに癒しが必要な人がたくさんいることがわかるでしょうあなたが神の癒しをきちんと受け入れること神があなたの人生を修復することはとても大切なことです

アーメンです

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