必要の先にあるもの – DIARY WITH GOD

2017.02.10

今日は昨日示された通りに(求めることを喜ばれる神参照)思うことを書き出そうと思ったのですが

どうにも体がいうことをききません何か物凄く緊張をしているようでした

お祈りをしても休んでも一向に良くならなかったのですが

そういえば昨夜りゅうくんにマッサージをしてもらってなかったな

と思い出し マッサージをお願いをしました

マッサージをしてもらっていると自分が背負うべきではない重荷を背負ってしまっていたことを示されたのでそれを手放すお祈りをしました

神様は 本来りゅうくんのマッサージという行動を通さなくても私に何が原因かというメッセージを伝えることは出来るはずですが

りゅうくんにほぐしてもらうことりゅうくんが愛を注ぎだすことが預言的行動になっているのです

昨夜は夢の中で明確にそのことを示されました

りゅうくんと私 別々に夢を見たのですが

りゅうくんは 自分自身が向いている先が神様からどのようにずれているのかを示され

私は もし神様の愛をもっと感じたいなら他の人のことを祈るようにとりゅうくんに教えるように促しを受けました

私自身は 日々神様から思いを与えられ具体的に 誰に対してどのように祈ればいいのかを受け取ることが出来ますが

りゅうくんは まだそこまで周囲に意識を向けることに慣れていません

なので昨日は私がりゅうくんに祈って欲しいことを神様に尋ねて書き出すということをしました

正直 本当にこれで大丈夫なのかなきちんと神様から祈りの答えを受け取れるかな

という不安が若干あったのですが自分の不安がその場を支配しないようにお祈りの課題のメモを渡してすぐにお手洗いを口実にその場を去りました

するときちんと神様から祈りの答えを受け取っていたので大丈夫だったーと安心しました

そして今日

りゅうくんにほぐしてもらうことで重荷を手放してから やっと自分自身の思いに意識を向ける余裕が出来ました

書き出してみると すぐ具体的に祈りの答えがやって来るものもありました

あまりに即座に答えが来るのでかなりびっくりしましたが

同時に神様は あなたの望みはこんなもんじゃないだろう?

と 示されているかのように感じました

確かに 祈りは即座にすぐに聞かれますですが 私が本当に望んでいるのはそれではないのです

そういったことがあった後に神様から示された啓示はこれでした

人に与えられた召しはいくつもあるわけではありませんしかし扉(選択肢)はたくさんありますですが 思い出してくださいどんなに外にたくさん扉があったとしてもどの扉を開ければ神の愛を受け入れることが出来るのかを

それは 以前教会の姉妹に貰った預言の絵を指していることにすぐに気が付きました

たくさんの扉を1つずつ開けるのだけど開けてみては これは違うと閉じていく

しかし自分の心の扉を開けると神様との愛の循環が始まりそれは二度と途切れることはない

これは りゅうくんの愛を受け入れた時に示されたメッセージです(その姉妹には話してなかったのですが^^;

そのことを思い出しなさい と示されていると感じています

確かに今 祈ることは全て神様は聞いてくださっています

ですが 神様は あなたの本当の望みはそれじゃないと仰っている

人から与えられたものではない自分自身の本当の望みにきちんと目を向けるようにと示されているように感じます

それと 神様が私のためにしてくださっている私の範囲を遥かに超えたことの関係が自分の中でしっくりこないのも確かなのです

このことは

最近 りゅうくんと話しをしていた「30万円あったら何をする?」という話とすごく似ているなぁと思います

30万あれば 大抵の趣味モノは買えるのでそのお金の使い方でその人の趣向は大体わかる という話があったのですが

必要なものが満たされていないと先に必要に使おうとしてしまう

例えば今の私であれば迷わずPCを買うわけですが

その必要がすべて満たされて必要なものが何も無くなった時に

更に30万自由に使えるとしたらどうするか

を考えてみよう

という話をしていたのです

今 神様に祈ったことが全部叶ってしまうのはそのことにとても似ているように思いました

「必要がすべて満たされたその先」を見据えるように促されていることを感じるのです

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