神様との日々を記す意味 – DIARY WITH GOD
2021.10.22
今日のQTでは 神様がなぜ日記を書きなさいと示されたのかがよくわかるものでした
もちろん、神様がなさった素晴らしいことを証するという意味もあるのだと思いますが
それ以上に、私たちと神様は家族です
家族との日々は、写真などで形に残して後日、その写真を見て懐かしんだり成長を喜んだりすることが出来ますが神様は霊なので、写真には残せません
だから、日記という形で神様との日々を形に残して、振り返った時にこんなことがあったね と語り合ったり成長を喜んだり出来るのです
神様にしかできない素晴らしいこと、と言えば書くことは毎日、山のようにあります
例えば、突然手の込んだ料理を作りたいと思い材料を買って帰宅しようとしたのに何故か寄り道をしたいという思いが与えられて帰宅が遅くなってしまったのに
料理を作り始めたら主人(りゅうくん)から「帰りが遅くなる」という連絡が入り料理が完成したとほぼ同時に主人が帰宅した
なんていうことは、日常的によくありますがそれを(多くの人が読むであろうこの)日記に記そうとは思わなかったのです
それは確かに、自分の家族写真をブログにアップするような感覚で私はそういうのがあまり好きではありません
かと言って、人に公開しない形で日記を書こうという気にもなりません
とても重要な示しは非公開のメモに残していますが日常的なことは残していませんでした
しかし、この示しを頂いたときに気恥ずかしいからという理由で神様によくしていただいたことが残らないのはなんだか嫌だな と感じたので
このブログのタイトル通りの「神様との日々」をもっと積極的に残していこうと思いました
(多少時系列は無視するかもしれませんが)