王と祭司 – DIARY WITH GOD

2019.11.11

ここ数日にあった神様の御恵みに

物凄くたくさんの神様のご計画が

含まれていたことを強く感じたので

今日は その声にしっかりと耳を傾ける

時間を取ろうと決めていたのですが

私が思ったよりもとても多くのことを

神様から語りかけられました

その中で自分にとって一番重たかったのは

自分が愛する人の為に変わろうとしてはならず

あなたを必要とする人のために

自分を変えなさい と示されたことでした

人のために思いを向けてはいけない と

思うことは物凄くたくさんありましたが

神様のために自分を捧げようとするなら

神様が私に与えてくださる人のために

自分を変える必要があることはわかります

私を必要とする人 というのは

神様が私を通して愛を流すことを

定められている人であり

私が流さなければ その人は

神様の愛を受け取れません

そこに「重さ」を感じたわけですが

神様がその人を愛する思いを

与えてくださり 重荷を軽くして

くださることを信じて委ねます

また 先日夢で示された憎しみや妬みという

毒について思いを馳せたときに

ふと 頭を過りながらも答えが出ずにいた

ある事柄について やっと聖霊さまからの

答えを受け取ることが出来ました

それは夢の中で 毒を盛られていた人は

毒を盛られながら一体何をしていたのか

ということでした

それは 間違えた思想の中で

愛を求めながらもがき続けるだけで

何もしなかった(出来なかった)

ということでした

口を開けば間違えた思想について

語るので 壊すことばかりなのですが

しかしその心の根底にある思いは

深いとりなしとなったのだと感じました

憎しみを持つ人にしても

憎まれる人にしても

本来の賜物を生かして神様の愛で

輝くことが出来なかいのだとしたら

それはとても悲しいことだと思いました

この事をりゅうくんに伝えると

旧約聖書に出てくるアザルヤという

王様について疑問に思っていたことを

思い出したと言うので その事について

聖書を調べてみると

列王記ではアザルヤという名なのに

歴代誌ではウジヤという名になっており

その違いというのはヘブル語で書くと

レーシュ(ר)が取り除かれており

頭 土台 思考を失ったという

不名誉な意味であるとわかりました

アザルヤは 主は助けるという意味で

祭司ゼカリヤという養育係の存命中は

アザルヤは神を恐れ良いことをしていたのに

祭司ゼカリヤが亡くなると 彼は

驕り高ぶり祭司だけに許されている

香を炊こうとしました

しかし それを祭司アザルヤという

自分と同じ名を持つ祭司に咎められると

皮膚病に冒されて それは死ぬまで

治らなかったのです

ゼカリヤの教えを自分の手で求め

自分に与えられた領域を超えてしまい

神に打たれたのです

それを知ったとき 本来なら

即死しても良さそうな罪を犯したのに

祭司ゼカリヤの教えの元に行った

良いことを神様は忘れなかったし

祭司ゼカリヤという教えを失って

自ら祭司が受け取っていたものを

得ようとしてしまったことに対して

神様は 病に閉じ込めはしたけれど

死には定めなかったところに

裁きの中にあるとても深い

神様の愛を感じました

そしてそれは りゅうくんが昨日神様に

示された通り「視点を変える」出来事でした

毒を盛られた人 というのが

そういう人だったと思うと

今までの私の人生すらも全て

納得がいくことばかりで

権威というものについて

新しく深い理解をする機会となりました

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