祈りを待たれている神 – DIARY WITH GOD
2017.01.09
今日は 神様が期待して祈って欲しいと示されていることを感じたのですが
「わくわくする感じ」がするだけでそれが具体的にどういうことなのか方向性も含めて全くわかりません
ですが 何だかわからないけれど期待して祈りそれを掴みます!という思いを神様は待たれているように感じました
神様に期待をする祈り
我が家では カレンダーのすぐ下にこのような祈りの言葉が書かれた紙を貼っています
「全てのスケジュールや行動を神様に委ねます あなたの御心に適い喜んで頂けるように」
カレンダーにはスケジュールを書き込んでいるので朝にそれを確認するのと同時にこのお祈りを捧げるようにしています
この祈りは 自分自身の心を軽くする意味でもとても重要なものになっています
例えば 病院に行くなどのちょっと嫌な予定でも神様に喜んでもらえるようにと思ったらいくらでも心の方向性を変えることが出来る
そういう意味でも役には立つのですが
しかし自分の努力で思いの方向を変えることよりも神様によろしくお願いします!と丸投げして何をしてくださるのだろう?と期待をしてワクワクしている方が楽しいと思います
御心を台無しにする人の思い
逆を言うと 神様に何かを期待をする際に「こういう風になると良いなぁ」という人の思いがあると それが邪魔をして神様の奇跡が現れなくなってしまうことがあります
また 違う結果が神様から与えられた時にがっかりしてしまったり文句を言うこともある
その問題は 聖書の主要なテーマでもあります
モーセの時代には 奴隷から救ってくださいと祈っていたイスラエル人が 実際に救われ荒野に連れ出された際に 何度も「奴隷でいた方がましだった」と言い神様の怒りを買っていますし
イエスさまの時代には メシアの到来をローマの支配からの解放だと思い込んでいた人々がいたのだそうで
イエスさまを裏切ったイスカリオテのユダもイエスさまがローマから救ってくださる様子がなかったことに不満を持っていたそうです
人が思うレベルを遥かに超えたことを神様は成し遂げることが出来る方であり
神様は 私たちの思いにご自身の栄光を現される方です
神様が為さることに対して聖書では驚き呆れ 恐れかしこむ という表現がいつも添えられています
神様が為さることというのはいつでも想像をはるかに超えており故に 神様が為さったことだと褒めたたえることが出来るのです
この聖句は前にも引用しましたが今日の示しは正にこれだなと思いました
イザヤ書55章8~13節「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。――主の御告げ。――天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。いばらの代わりにもみの木が生え、おどろの代わりにミルトスが生える。これは主の記念となり、絶えることのない永遠のしるしとなる。」