預言を掴むことの大切さ – DIARY WITH GOD

2021.11.04

昨日でQTの聖書箇所としていたヨシュア記が終わり

今日からはルツ記でQTをスタートしました

ここ数日、神様愛していますと言うだけで涙が出そうな感じがしていたのですが

今日もここからの示しは本当に愛に満ちたものでした

私には、あなたはナオミでありルツを得た者として人生を喜び楽しめと示され

りゅうくんには、あなたはルツのように生きなさいと示されました

ナオミという名前は楽しみルツは潤しという意味です

神様が私に幾度となくあなたは喜びの子という預言をくださり

あなたを決して一人にしないと示されたこともそうですし

私の人生を振り返るとナオミだということは物凄く納得いくものでした

そんなことがあった後に妹から 面白い記事があったとURLが送られてきました

それは(ネガティブな意味で)言いたいことを言わずにいると身体が語りはじめる=病になる

逆に言うなら自分の人生をきちんと生きていたら病にはならない という記事でした

言葉の大切さは実感していますがそういえば りゅうくんと結婚する時に神様が 言いたいことは全部言うようにと強く示されたことを思い出し

りゅうくんとの結婚により神様が私を癒やしてくださっていることを改めて深く実感し 感謝しました

その後 神様から占いと預言の一番の違いについて示しがありました

占いの霊は ともすれば霊的に人が見ていない何かを見てはいるかもしれないが

ただ見てただ言うだけの霊であり占いの結果 成就には責任を持たない

それを聞く人も当然のように当たるも八卦当たらぬも八卦ぐらいの気持ちでそれを聞くが

人は霊にとても感化されるので

占いを信じる者はその霊の性質通りの無責任で他力本願な口だけの者となる

しかし神様の預言について神様はただ示すだけではなくその預言が成就することに責任を持ち力や助けを与えてくださる

人が預言を掴んで真摯に向き合うことは神様を愛するということにも通じており

それは聖書にかかれている「イエス様に似たものになる」ための道筋になるし

神様を一番に愛すること

心を尽くし 思いを尽くし精神を尽くして神様を愛するということにも繋がっていく

更にはそれが 自分の人生を歩むことにも繋がっていくことになる

ということを示されました

神様の預言を(まるで占いを聞いたかのように)「預言されたのだから成就するのだろう」ぐらいの軽い気持ちで受け取ることは占いを受け取るのと変わらないことで

預言に対してコミットしてくださる神様に対して 自分自身も同じぐらい真摯に預言を掴み取らなければならないのだ

ということを強く感じました

また 恐ろしいな と思ったのは口ばかりで行動が伴わない力のない霊にどんなに尽くしたところでどんどん自分の性質が悪くなるばかりだということです

尽くせば尽くすほど誠意を示せば示すほど

どんなに真摯に向き合っても助けもしなければ力も何も与えずただ口先だけの占いの霊のような神様が造られた本来の姿から人を遠ざける存在になってしまう

そこには病が生じますがその病すらも彼らにとっては搾取の絶好の機会でしかないのです

それは バアルの霊につかえて自分の体を傷つけて血を流して叫び求めても最後には殺されてしまった祭司たちのようです

しかし神様の預言を掴む人はどんどん神様の性質へと変えられていく

神様を信頼し 神様に寄り頼む人は裏切られることはありません

ですが 大切なのは預言であり自己義ではありません

イエスさまに似たものになるためにはイエスさまの真似をすればいいのではなく与えられた預言に対して真っ直ぐ向き合うこと

自分に対する預言を掴むことが大切であってイエスさまも そのように生きられたし人々をそのように導かれたのです

冒頭の話に戻りますが 今回の示しについて

ナオミかぁたしかに今までの人生そんな感じだったけどそんなに楽で幸せなのでいいのかな

というのが正直な感想だったのですか

私が示されている他の預言についても土台が「ナオミ」だと思うと物凄く簡単に受け止めることが出来たのでそれでいいのだ と思いました

私に対して色々なことを言う人がいますし他の預言もあるにはあるのですが

私のアイデンティティはナオミでいこう!

と 思いました

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