痛みの奥にある本当の思い – DIARY WITH GOD
2016.11.30
今日から2泊3日でりゅうくんが専門学校の授業の一環で台湾に行っています
バイトが終わったのが0:30過ぎで帰宅は2時だったのですが朝5時台の電車だったのでそのまま徹夜をして出ていきました
りゅうくんが出た後 少しして寝たのですが起きた時にものすごい不安と体の痛みがありました
と いうより不安になるから痛みがやってくるわけですが
りゅうくんがいなくても神様がいるのに我ながら不信仰だなぁ と思いましたが
1日かけてデボーションをしていたところこれも訓練だから と示されました
神様からの示し
そして 痛みの中にあるものの正体を神様が示してくださいました
以前書いた思い煩いからの解放の記事の中で「あなたの優しさに付け入る存在」
という表現をされたことを書きましたが
今でこそ 神様がその存在をどうにかしてくださるという保証を頂けましたが
過去には 付け入られることを避けるため付け入ろうとする存在に対しては徹底的に拒否をすることをしてきました
そのことが 夢での癒しの中で
自分で考えて自分で決めて作っていた人格だと思っていたものであったのです
付け入られるというのは悪用されるということです
多くの場合は 自分の利益のために私を悪者にしようとする態度です
良い意味で活かされるのであれば自分を守る必要はないし拒否する必要もありませんが
しかし悪用されることについてましてや全くその気がない私を無理にでも巻き込んで悪者にしようとするのであれば拒絶をするしかありませんでした
…例えて言うなら
不正をお願いされてNoと言ったときに情に訴えたり私を悪者扱いすること
相手が間違えたことを信じていて正しいことを言っている私が悪いかのように言われる時のことですが
赤の他人で 距離がある人ならNoと言って終わることもあるでしょうが
身近な人の場合はそれで終わらないことがある
拒絶というのは 自分自身が一番傷付くのです
痛みの奥にある思い
ですが神様は それに対して全てを委ねるように言ってくださいました
あなたはそれを自分の重荷だと思わなくて良いし思い悩む自分を変える必要もないあなたの優しさに付け入ってくる存在の取り扱いはわたしが全てやってあげるから
私は 神様に守られていますそのことはよくわかっています
だから
私が優しいから 悪いことは全部背負わせればいい
そのような態度でいた人たちは自らの悪で自滅していきました
私はそれが悲しかったのです
その悲しむ自分を 変えたかったけれど神様はそのままで良いと仰った
自分自身をそのままに ただ神様に委ねればいいと仰ってくださいました
悪から自分の身を救えるようになるには何が善で 何が悪かを学ぶしかありません
悪いことをしている人を見てあのように美味しい思いをしたい協力してくれないか
そんなことを言う人がもう二度と自分の人生に現れないことを心から祈ると共に
神様に期待をして神様により頼めば悪いことをするよりももっともっと素晴らしいものが手に入ることを
悪いことをしなければ幸せになれないと思っている人がきちんと 知ることが出来ますように