私たちのために耐えてくださる神 – DIARY WITH GOD

2018.02.17

今日は ヒーリングセミナーの2日目で

昨日の日記に書いた通り 優先的に

前の方の席に座ることが出来たのですが

早めに教会に着いたので

コンビニに水を買いに行きました

そして戻ってみると

昨日お祈りをした女性が

旦那様と一緒にいらっしゃり

昨日のお祈りのフィードバックを

聞くことが出来ました

本当に 何か新しい季節に

入ったことを強く感じました

その日のメッセージでは

りゅうくんに大きな解放があり

とても恵まれましたが

私はひとつだけ どうしても

引っ掛かっていることがありました

その「引っ掛かり」に対して

聖霊に満たされる時間に

神様は 一言だけ示してくださいました

それは「赦すことを止めて」でした

この時は意味がわからなかったのですが

後で考えると 赦すというのは

相手や自分に対して裁いたり

怒りを感じた時にすることです

そもそも怒りも感じていないし

裁いてもいないのに

赦すことはないわけです

神様により赦されていることを

宣言する祈りを以前示されましたが

それは まだ赦しを受け入れていない

未信者に対してする宣言であって

既に赦されているクリスチャンに

裁く心も怒りもないのに

赦すとか言う必要はないのです

では怒っていると私が誤認していた

感情は何だったのかというと

「悲しい」だったのです

しかし 悲しいと思うのが嫌なので

怒りで感情を覆い隠してしまい

赦すことを宣言していたのです

赦すの何の言っているうちは

怒りの裏にある本音が

隠されてしまうので神様は

「赦すことを止めて」と

示されたのだと気付かされました

悲しいという感情を認めることは

終わりを意味します

悲しいと気付いてしまうと

悲しいなぁ でも仕方ないか と

吹っ切れてしまうわけです

勿論 健康のことを考えたら

吹っ切って手放すことが正解です

しかし 自分の中でそうやって

手放すことが嫌だから

認めたくなかったんだなぁと

なんとなくわかりました

こういう感じで

自分の意思で引きずってしまう

体調不良がたくさんあります

こういう心の態度でいれば

癒されることに対しても

真剣に向き合いません

ですが 神様はこう仰るのです

イザヤ書43章18-19節

先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。

見よ。わたしは新しい事をする。

今、もうそれが起ころうとしている。

あなたがたは、それを知らないのか。

確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

エレミヤ書29章11節

わたしはあなたがたのために立てている

計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――

それはわざわいではなくて、

平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

間違えなく手放した方が益なのです

抱え持っていれば腐敗し

自分自身を病ませますが

手放して神様に委ねれば

良いものへと変えてくださいます

しかし人は時に 前に進むことも

疲れてしまう時がある そのことを

神様はよくご存知です

ですから謙遜で良い方である神様は

悪いものを手放し神様に委ねる時

(癒しを受け取る決意をして

神様の計画へ協力する時に)

ありがとう と言ってくださるのです

あなたのために言っているのに

何故早くしないの?とは言いません

待ちくたびれたよ もう止めるとも言いません

忍耐し 忍耐し続けて そして

ご自分の良い計画に人が協力する時

本当に ありがとうと

言ってくださる方なのです

本当に 私たちを造られた方が

素晴らしい方であることに感謝します

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