「赦す」という宣言の意味 – DIARY WITH GOD

2016.11.08

最近 急に寒くなったこともありいまいち体調がすっきりしない感じで

どうにかしてくださいー!と神様に祈っていた時に

子どもの頃に すごく対応に困ることをする人に対して

どう付き合っていけばいいしたものか と煮え切らない感じのままに関係が自然消滅してしまった人に対して

赦す宣言をしなさいと示されました

困りはすれども 別に怒っていたわけではなかったどころか

当時は上手く立ち回れない自分の未熟さを責めるばかりだったのですけど

赦すという概念はなかったので示された通りに赦す宣言をしてみました

すると

何かつっかえていたものが取れていく感じがした

そして 神様の大いなる愛が流れてきたのを感じたのと同時に

今までの人生でかかわった全ての人教会の兄弟姉妹や肉親 仕事で絡んだ人は勿論

コールセンタの1本の電話であってもちょっと挨拶をした程度の人であっても

思い出せる限りの人に対して「赦す」という宣言をしてみよう

という思いが与えられました

赦す宣言がもたらしたもの

私は子どもの頃から人間関係が広かったしサポートセンターでの勤務経験もありますし

ネット関係のイベントや案件ごとの契約でお仕事をすることが多かったので物凄い人数が思い起こされたのですが

とにかく思い出せる限り全ての人に対し赦します という宣言をしました

すると 一人ひとりに対してその人の良さも欠点も全てひっくるめて愛しい という感情が溢れてきて

見るもの全て 関わるもの全てが愛に溢れているように感じました

そしてそれは

私が幼い頃にずっと持っていた感覚である時を境に 全く感じることが出来なくなっていた感覚でした

また そのことを思っている時に私に対して攻撃的であったり嫌なことをしてきた人の背後に

暗い汚れた霊の存在を感じました愛にあぶり出されて隠れきれずに表に出てきてしまったような感じで

それらに対しては イエスさまの血潮で縛り上げる宣言をしたら体調や痛みまでもがすっきりしました

怒りを感じていたわけでもない人を赦すという宣言をしたことにより

自分の人生に何が影を落としていたのかがはっきりわかる結果になりました

赦す宣言はとりなしの祈りだった

宣言をし続けるうちに 愛に翻弄されるような物凄いハイテンションになってしまい

今から先 自分にどんな悪事を働く人がいても赦して愛することが出来る気がする!という感覚がやってくると同時に

その人の弱さが神様により強められるようにとりなしたいという思いが強く与えられました

今までは 罪や咎に縛られて思い通りにならない人生を送り不平不満ばかり言う人に対して

同情するような思いを抱いてとりなしの祈りをしていたのですが

もっと明確に神様により救われますように!という強い思いが与えられました

それでわかったのですが

この「赦します」という宣言は

「神様を知らないことを赦します」「罪や咎に対して無知であることを赦します」という意味だったのです

「この世」を赦す宣言

言われてみれば 確かに私は個人個人に対して怒りや憎しみを持ち続けるということはありません

怒ることがないという意味ではなく

怒りや憎しみを抱くことは疲れますしそんなことで自分の時間が奪われるのは大変な損失だと思うので 即座に神様に手放させてください!委ねます!と手放してしまうのです

ですが 怒りを抱くポイントというのは確かに1つのことに集約されていたのです

神様の御心に反することを それと知らずにやっている人たちに対する憤りと

神様に対する無関心への憤りでした

確かに

神様を知らないのだから仕方がない聖書を知らないのだから仕方がない

といって思いを飲み込むことはありました

無知であることを責めてはいけないし知る機会が与えられるようにとりなしの祈りをすることはありました

しかし それだけでは足りなかった赦さなければいけなかったのです

神様の御心

私が言っていた「赦します」には

あなたが神様の御心を知らないこと(或いは過去に知らなかったこと)を赦しますあなたの罪は全て赦されていることを宣言します

といったニュアンスが多分に含まれていました

要するに 私にするように示された「赦す宣言」とは私が誰かを赦せていないからそれを赦す宣言をしなさいという意味ではなく

神様が全てを赦されたことを一人ひとりに対して宣言しなさい

という意味だったのです

それを感じた時 神様が全世界の人に向かい

あなたたちの罪は全て赦されたんだよそのことを受け取るため私の元に来なさい!

と 大手を広げて人々を招いている姿を感じました

ああ 神様はこのように人々を招いていらっしゃるんだ と思いました

道行く人を赦す

今日 いつも行くジューススタンドで作業をしていたのですが

店員さん(新人さん風)がお客さんに対してミスをしてしまったらしくちょっとしたクレームになっていました

今までも こういうシーンに遭遇すればとりなしの祈りをしていましたが

これ以上自分が不愉快な思いをしたくないという気持ちがありました

ですが今日は そんな喧噪を前にしても全くの平安の中でとても上機嫌な自分がいて

店員さんにもお客さんにも私にある神様の平安があるように という今までとは全く違った感覚の祈りになりました

また 座った席の向かいで たまたま会話をしていた老婦人お二人に対して赦します という宣言をした瞬間に

神様の深い深い愛を感じ涙が出そうになりました

すぐに福音を伝えようか とも思いましたが神様がそのようには示されなかった

まだ時ではないという感じがしたので

この地域の人たちに いつか必ず福音を伝える機会が与えられるようにと祈りました

「赦す」

神様はもうこの人を赦されている神様はこの人を愛している

そういう思いが与えられたことは本当に 素晴らしいことだと感じました

もし 全く無関係な人の罪や多くの人の不信仰に対して怒りを抱いてしまうことがある人

また 特に怒りを抱いたことはなくても神様の赦しを伝えたい全ての人に対して

ぜひこの「赦す」宣言をしてみてください

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