希望による平安 – DIARY WITH GOD

2019.03.22

昨日は色々なことが完了した日でしたが

イエスさまは完了した日から3日目の朝に

甦られたので なんとなくですが

私も今日は1日死んでおこう と思いました

特に何をしようと決めたわけではありませんが

(スマホを車内に忘れたり等々したため)

ネットで普段やっている情報収集などを

期せずして一切やらない日となりました

QTも イエスさまが亡くなられた時を

描写したところでしたが イエスさまは

ゲツセマネで既にご自身の苦しみについては

飲み込み終わっており 十字架の道では

ご自身が受ける苦しみの故に 多くの

神様がイエスさまのために選ばれた者たちが

救われることを思い 満足されていた

ということが旧約聖書からもわかります

QTを通して語られたことは

私が希望として抱いている思いは

その信仰の故に叶いますよ という

励ましの言葉でした

今回 痛みを伴って甘んじたことは

神様に語られた故のことでしたから

全て 叶うとは思っていましたが

QTを通して 更にその事を念押しされ

益々揺るぎない確信となりました

イエスさまが罪の杯を飲まれてから

甦り時まで イエスさまは罪の故に

神様とは切り離されていました

ですが きっと黄泉の国でイエスさまは

イエスさまが産まれるときまで

待つことを許されていた魂たちに

福音を伝えられていたのだろうなぁと

勝手に思っているのですが

希望があるから 離れている時でも

イエスさまならこんな時に

どうするだろう と思いながら

自分のやるべきことを出来るような

自分でありたいな と思いました

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