神様のレーマに感じる愛 – DIARY WITH GOD

2019.05.10

先日 父親との関係性の回復を体験してから

神様との関係が本当に深いところにまで

入ってくることを感じるようになりました

しかしだからと言って 神様との距離感が

変わったわけではありません

神様は今までも近くにいてくださいましたが

私が神様に心を開き 神様が私の心に

侵入してくることを受け入れたという感じです

神様が秘密を見せようとしてくださると

私はびっくりして目を背けてしまっていたのですが

神様が何をもって遊べ!と仰有っていたかを

理解することが出来たので 恐れることなく

神様と向き合うことが出来るようになりました

励まされても 愛しているよと言われても

社交辞令を聞くような感覚だったのに

自分のこととして受け入れられるようになり

その語りかけとは違うものの一切は

嘘であるとわかるようになりました

その為か QTの語りかけを受ける度に

涙が出る思いがするようになりました

読み返してみると 今までと別段

内容や語り口調に変わったところはないのですが

そこにある愛を深く感じるようになったのです

その中で 神様が福音について

語ってくださったことがあり

本当に涙が出る思いだったので

シェアしたいと思います

まず最初の旅路はわたしの元へと帰る旅です

多くの人はそこへとまだ帰って来ていません

寄り道をしている羊 迷子になっている羊

敵に奪われている羊 様々な羊がいます

裁くことなく きちんと羊飼いの元へ導くこと

それがあなたがたの役目です

導いた後のことはわたしとその羊との関係ですが

わたしの元へと導くこと

イエスこそが道であると教え確信を与えるに

至らせるには助けが必要です

それは期間限定の役目ですが

地に命あるうちはそれはとても大切な役目ですよ

そのための必要は全て与えられますし

報酬は御国にもたくさんあります

私は宣教の賜物や牧師の賜物がないので

牧師タイプの人が語るビジョンの下に

自分が入ることは全くイメージ出来ないし

大宣教命令を語られても それが自分の

やるべきことという感じがしませんでした

しかし 迷子の羊や寄り道をしている羊を

羊飼いの元へと導いたり

敵に捕らわれている羊を取り返して

羊飼いの元へ連れていく というのは

自分の役目であると感じます

羊飼いのお手伝いをすることが私の仕事

ということはよくわかりますし

また 羊たちに対する愛を物凄く感じます

恐らく表現が違うだけで同じ事を

言っているはずなのに 全く違うので

不思議なものだなぁと思いますが

もしかしたらこれこそが レーマとロゴス

生ける神の言葉と書かれた言葉の

違いなのかなぁとも思いました

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