命を与える言葉 – DIARY WITH GOD
2016.10.24
預言 というのを受けたことはあるでしょうか
預言という単語自体は神様から預かった言葉という意味で
今 その時に 受ける人に必要な「神様から」のメッセージです
占いや予言とは違いますイエスキリストを告白する霊以外が語る言葉は 預言ではありませんので吟味をすることが必要です(ヨハネの手紙第一4章参照)
神学校の授業中に ある動画を見ました
それは世界的にも有名な預言者がカンファランス中に ある家族に対して預言をするシーンでした
この会場に〇〇〇という名前の人はいる?〇〇〇という数字に心当たりはある?
その預言者はまず 神様が誰について語ろうとしているのかを受けるべき人しか知らない情報により特定していきました
自宅の住所 誕生日や記念日 子どもの名前など本人にしかわからないような情報をたくさん並べることにより
神様は全てご存知だということに心を開かせてくださいます
その上で 今神様がその家族に対して語りたかった 私たちが知りえないことを教えてくださり 希望を与えてくださいます
その動画では 亡くなった子どもはイエスさまの横で元気にしていてあなたたちはその悲しみから卒業してその子が本来やるべきだった神様の召しを代わりにやる季節に入る…と示されていました
神様の預言は 励ましです生きるために必要な命の泉のようです
私も 何度か預言を受けています
預言者さんにとっては全く意味が分からないビジョンが私にはわかるということもあります
また その言葉から神様が何を伝えようとしているのか意味が分からない ということもあります
私の場合は「神様があなたを綺麗にする」という言葉がそれでした
しかも2年越しに2度も同じことを言われました
学んでいくうちに それは肉体 心 霊 全ての領域において余計なものを取り除くという内面的な意味と
服や持ち物 環境 容姿といった外面的な意味の両方を指しておりそれはまだまだ継続中であると感じますが
大切なことは 預言とは受けて終わりではなくその預言に込められた神様のみこころを求め続ける必要がある ということです
強い思いが与えられて祈り続けることもあるかもしれませんし
確信を持って行動に移るのかもしれませんし
思い巡らす でも良いかもしれません
私が受けた「綺麗にする」という言葉も自分の人生全体にかかっておりあまりにも範囲が広かったために
様々な角度から祈る必要があり気が付くたびに祈るのですけど
祈ったことは必ず実現する中で神様が私をどのように作り替えて神様と私との間でどのような関係を築こうとされているのかを少しずつ理解しています
このことも まだ継続中です というか生涯追い続けるテーマのようなものであるとも感じています
また 神様は 私に世界創造のビジョンを見せてくださり本当に全てが良い そうは思わないか?と仰られました
また イエス様が編み物をされているビジョンに私のことをこのように一目ずつ丁寧に造られたというメッセージがあったりと
「綺麗にする」という言葉には神様が造られたものは全てが本当に良くて美しい
という思いが込められていると感じ神様はことあるごとにそれを教えてくださいます
私の目線を そこへ引き上げようとされておりその先に 神様のご計画があるのだと感じます
それが何かはわかりませんですが 自分の心がそれが正しいそれが欲しいと求める
人は なんやかんや言っても心が揺り動かされることに対してしか行動をする(行動を続ける)ことが出来ません
頭でどんなに理解をしたところで心が揺り動かされなければ行動し続けることは困難です
自分の思いとは全く関係がありませんむしろ「綺麗」という言葉に対して私は抵抗すら感じていました
しかし それが善良なる神様の導きで尚且つ 良い方向へ行くイメージしか感じることが出来ないのであれば
良いと思うものを心の中心に迎えてそれに忠実に生きることが出来るのなら
それに勝る幸せはないと感じます
(今でこそ言える という話ではありますが)
ともあれ
預言 というのは生きる希望です
時には 自分の中にある不要なものをそぎ落とすために入れられるメスのように鋭く切り込んでくることもあります
全てを解決する一つの指針であることもありますし
本当に伝えたいことを伝えるための前準備であることもあります
ただし 冒頭に書いたようにイエスキリストを告白しない霊により混乱を来たらすこともあるので預言を受けるための霊的学びも必要ですし霊的な環境や心の掃除も必要になることがある
それらの学びや掃除が終わっていないために全く預言が心に響かないこともあります
神の預言は 聖書の内容に沿っていますそのことから 神の言葉であることがわかります
ですから聖書を読むということは預言と正しい形で向き合うのにとても助けになります
ともあれ
神様が与えてくださった「希望」
そこにたどり着くまでには何年もの月日が掛かることがありますし時には更なる助けや言葉が必要になるときもあり
それは 求めれば必ず与えられます
その過程全てに 神様の栄光が現れることを祈ります
人の力により それが歪められてしまうことがありませんように