全ての土台となられる方 – DIARY WITH GOD

2016.10.31

日本の武道や茶道 芸術の師弟関係の在り方の一つに守破離というものがあります

まずは師の教えを守り次に自分に合う型を求め(師の教えを破り)師から完全に独立して 自分の新しい型を作る

というものです そのようにして継承・発展が為されていきます

そしてクリスチャンの教えの中にも

師は弟子に遣えるものとなり弟子は 師を土台して更なる霊的な高みへと登っていく

という考え方があります

土台あってこその自分

イエスさまも弟子たちに対してあなたたちは私よりも偉大なことをやりますと 仰られています

ですが同時に だからと言って師より弟子が偉くなるわけではないということも仰られています

師は自分の土台です そして師には更に土台となってくれた師がいて何代もに渡り繋がっています

考えてみれば当たり前なのですが

もし自分の土台を軽く見たり土台は自分にとって不要だと言ったとしても

土台の上に自分が立っていることに変わりはありませんし

もし本当に土台が砕かれ抜き取られればあっという間に崩れ倒れてしまいます

足場を失った者

言うなれば その基本的なことを忘れて「自分はすごい」と勘違いしたのが堕天使 サタンであるわけです

サタンは神の栄光を賛美する 賛美リーダーでしたですがその賛美があまりにも素晴らしかったため次は私が神となる と勘違いしてしまったのです

神様は全てを造られた方でありサタン自身も神が造られました

聖書に 陶器師と器の例えが出てきますがどんなに素晴らしい器があったとしても器は陶器師にはなれるはずもない

事実 サタンは落とされた今であっても何も生み出せないから人から奪うしかなくしかも 神様が禁じたことは決して出来ません

全てを造られた方を超えることは決して出来ないのです

そして最後は 足場がなく休むことが出来ない火の窯の中に閉じ込められることが定められている

土台を敬わないものに相応しい末路が用意されていることが聖書に書かれています

クリスチャンの土台「信仰」

クリスチャンの基礎はどこにあるかそれは勿論 聖書に書かれています

天地創造からこの世の終わりまでが聖書には書かれているわけですが

クリスチャンの土台 と限定するなら「信仰」の継承というものがあると思います

信仰の父と言われたアブラハムから神様と共に歩いたたくさんの祭司や預言者たち

そして 信仰の完成者と言われたイエスさまがいて弟子たちによりそれが大きく広がっていきます

では その「信仰」は私たちに何をもたらしているのでしょうか?

神様の器

聖書には 真の神を求めた人々やこの世の力に苦しめられた人々が本物の生ける神様により奇跡的に祝福されること

自分たちは受けたのだから与えるべきものへと与えること

また 神を神とも思わずに自分が神であるかのように慢心した人々に対し神様がどのように思い行動され裁きにまで至ったかを並行して書かれているわけですが

しかし神様は 裁きは私のものなのであなたがたは敵を愛しなさい と示されたので最後の裁きについてはとりなしの祈りのため書かれているものであると受け取れます

なので 私たちが聖書から学ぶべきこと神様が聖書を通して学んでほしいことは

奇跡的な祝福を受けること与えるべきものに与えること

そして敵をも含めた全ての被造物に対する愛の祈り ということになり

これらを通じて私たちは神様が地へ介入するための器として成長していくことになります

神様が人に求めるもの

ここで勘違いをしてはいけないのは

神様は 私たちがいてもいなくても私たちが祈っても祈らなくても奇跡を起こすことが出来る方である

という点です

例えばヨナ書を見ると 神様はヨナが望んでもいない奇跡をヨナを通して起こされています

では神様はなぜ ヨナを通して奇跡を起こされたのでしょうか

ヨナ書は短いのでぜひご一読いただきたいのですが

最後の下り

ヨナ書4章10-11主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

ここから 神様の心をヨナに学ばせたかったことが読み取れます

神様は 神様が起こしたい奇跡を私たちを通して起こされる

それは 器である私たちに対してご自身の心を知らせたいと強く思っておられるからである

ということがわかります

神様は 私たちにご自身の創造の御業とこの地に対する愛を知らせたいのです

全ての土台となられる方

雨風はどなたが私たちにもたらしてくださっているでしょうか

太陽や月 星の運行はどなたがなされているのでしょうか

そもそもで 地を造られ私たちが糧としている動植物を造ってくださったのはどなたでしょうか

もし仮に 自分の美しさを誇る人がいたとしてもその肉を与えてくださったのは神様です

富はどうでしょうか

そもそもで地を始めとした全ての原資を造られたのは神様です

神様であれば 御心一つで私たちのことも経済の在り方も物の価値すらも一瞬で如何様にでも造り変えることが出来るでしょう

神様は全てのものを造られた後にこの地を管理させるため 人を創造しました

神様は人を 良き管理者として育てたいと願われています

与えられたものを喜ぶことは良いことです喜び感謝して 神を称えることは何にも勝る 甘い蜜のようです

常に謙遜に 土台を築いてくれた先人たちに敬意を払い続けることでその甘いしたたりは耐えることがありません

この世は神様のみ恵みによって養われています

神様は 私たちにそのことを知らせ同じ心でこの地に 神様の偉大で豊かな愛の御業をもたらす祈りをしてほしいのです

神様は 私たちの賛美の中に住まい霊と誠とで礼拝する人々を必要としてくださる

そういうお父さんであることに本当に心から感謝します

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