神様の目線に立ち 良い実を結ぶ – DIARY WITH GOD
2017.02.23
クリスチャンになると驚くべきみ恵みがたくさん注がれることを体験する人も多いと思います
聖書では 一番大切なことは心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を 尽くして、あなたの神である主を愛せよ。
とであると教えていますが
神様がどのような方かを知らずまた愛を知らなければ神様を愛することは出来ません
そのため ご自身のご性質を現すべくまた 救いが行いによるのではなくただ一方的な愛によるみ恵みであることを示すためたくさんのみ恵みを注いでくださるのです
ですが 中には自分が愛されていることに溺れてしまい(高慢になり)
なぜ神様が愛やみ恵みを注いでくださっているかを忘れてしまう人がいます
神様は ご自身を愛してくれることを期待し愛を注いでくださっています
神様の愛を知り 神様が愛するように自分自身を愛するようになり
そして 自分自身を愛するように隣人のことを愛してくれるようになること
それが 神様の望みであり聖書に一貫している教えの一つです
「神様が愛するように愛する」それが出来るようになるまでには神様の愛を学ぶ過程が必須なわけですが
愛というもの自体には それ以外にも
自分がして欲しいことをするという側面と
愛する人がして欲しくないことはしないという側面があるため
神様の愛を知らないうちに個々人の感覚で自分自身の愛を周りに振りまこうとすると行き違いが生じることがあります
私が特に他人との行き違いを感じるのは干渉する・しないという距離感です
平たく言えば 干渉されることを好む人は必要以上に干渉してくるし
干渉されることを好まない人は干渉する必要があるところでも干渉しないのです
自分自身の愛が無条件に良いものだと仮定し過干渉をしたり 関わらなさ過ぎて無責任になり歯車が噛み合ってないなぁと思うことは立場や年齢に関係なくよく見かけます
そうならないために必要なことが「神様の目線に立つ」ということです
自分の感覚で物を判断せずに神様がこの状況をどうご覧になっていて自分自身にどういう立ち振る舞いを望んでおられるのか
神様が自分に何を期待しているのか神様が自分の何を強めようとされているのか
神様の目線で物事を見ようと願う時神様はきちんとその目線を与えてくださいます
但しそれは 神様が与えられた個性や役割と時期や相手によって方向性が異なってくるので都度 きちんと確認する必要があります
ちなみにですが 私の場合は「干渉しなさ過ぎ」とその割には「気にし過ぎ」るという傾向があります
神様に尋ねると「干渉しない」ことが神様が私に与えられた個性であるようで気にしない方向で鍛えられています
干渉したり気にする暇があったら神様から受け取った御国の花をその方にお渡しするべき(それが私の役目)なのです
祈りで神様に全てを委ねて神様から貰ったものを流す
ということですね
勿論 関わることで変えていく賜物を貰っている人もいますから(りゅうくんはそうです)あくまでも個人個人で示されたことに忠実であって頂きたいのですが
良い実を結ぶための行動以外は全て 人の思いから来るものであり神様から来るものではありません
とは言っても 気にしてしまう私のことを決して神様は否定されませんし切り捨てるために鍛えられているのではありません
思いに囚われて何も出来ない状態に立ち止まっていてほしくないのです
私の思いに奇跡と癒しを起こすために神様が下さった良いことを実行するのです