自分が属する世代 – DIARY WITH GOD

2018.08.19

今日はりゅうくんが

お休みだったのですが

もしかしたら会社から呼び出しが

掛かるかもしれない と言うので

自宅待機になっちゃうかなぁ

と 思っていたのですが

私がうっかりメガネのレンズを

外してしまったため 急遽

外出をすることになりました

りゅうくんは 外出する

口実が出来たと大喜びです

メガネを作ったお店の

チェーンが駅ビルにあったので

ついでに駅のフードコートで

食事をしようと家を出ました

ところが夏休みでお昼時の

フードコートは大変混んでいました

席が空きそうだったので

待っていましたが

席を片付けていた人の

通路を確保するために

ちょっと避けた隙に

学生に席を取られてしまいました

4人席に1人で座っている人もいるし

店員が誘導していない場所で

この時間は気持ち良く食事が

出来ないな と思ったので

場所を変えることにしました

神様に どこで食事をするか

尋ねながら歩いていると

以前から気になっていた

カレー食べ放題のお店が示されました

入ってみると りゅうくんが

実は 今週スマホのモバイル通信を

ずっと切っていられたら

ご褒美をあげる と神様から

言われていたのだけど

今日1日がそのご褒美だよって

言われた と言うのです

じゃあ このお店に来れたのも

ご褒美で 私もそのご褒美の

恩恵に預かれるのね と言いました

眼鏡のレンズをうっかり

外してしまったことも

行こうと思っていたお店で

食事を出来なかったことも

神様のみこころであるなら

感謝だね と言いつつ

席が横取りされて少し

不機嫌になってしまったことを

悔い改めました

モバイル通信の件については

実は りゅうくんが余計な

情報(見た後に明らかに態度が

悪くなるもの)を断つように

言っても言ってもどうしても

止められなかったのですが

今月は wi-fi環境を

解約してしまったので

りゅうくんがすぐに

モバイル制限を受けて

しまっていたのですが

データチャージを1度だけして

礼拝動画を見るために

取っておいてね と

お願いをしていたのです

そこへ神様が介入して

りゅうくんにモチベーションを

与えてくださっていたことに

感謝をしましたし

やっぱり私もりゅうくんの

建て上げを支える世代なんだな

ということを改めて感じました

私の年齢自体は正直言えば

上の世代であると言えます

10年を一世代という考えもあり

りゅうくんとは2世代違います

しかし 最近自分の思いや

真剣に祈りたいと思う事柄

それに 人との繋がりを考えると

私は自分の年代の前後ではなく

親の世代やりゅうくんの世代に

召されていると感じます

年齢は関係ないし

自分が召されていることに

しっかり向き合い そこから

目を背けようとする力を

祈りで避けていくことの方が

大切だよな と思いました

すると神様がQTを通して

次のようなことを

示してくださいました

あなたの戦いを戦いなさい

今 何が起きているかは

りゅうの書く物語で見せている

りゅうくんが書いている

物語で 私たちは

過去は栄えたけど人々が

捨てた森からスタートしました

そこは神様から守られており

神様の命で鈴を鳴らすと

世から見捨てられたような

こどもたちが集まりました

そして 私たちは

神様とこどもたちと一緒に

偶像を打ち砕く旅に出ます

それは 私にとって

とてつもなくわくわくして

喜びに溢れた出来事です

私たちの結婚に際して

2人の預言者さんから

先祖代々続く呪いを

打ち砕くための結婚だと

示されましたが その通りの

出来事が物語に記されています

今日は 物語に登場する

場所や人物の中で

気にも止めていなかったものが

具体的に解き明かされました

私が価値に気付かないようなものに

りゅうくんは 価値を見いだし

りゅうくんが価値に気付かないものに

私が価値を見いだしていきます

それぞれに示されるものや

示される方法は違います

学びながら得ていくものと

学びながら捨てていくものが

私とりゅうくんとで

交差しているようにも感じます

私の中での一番大きなことは

兎に角 私が今まで生きてきた

世界とは真逆と言って良いほど

価値観が違う ということであり

私は間違えなく そこの住人として

創り替えられているということ

そして それを私自身が

掴んでいくことが

周りへの影響となります

しかしりゅうくんはそうではない

何もないところに最初から

その価値観で建て上げられているけど

それが当たり前 当然であり

それを求められないなら

その者に問題ありとする世代です

問題に目を向けるのではなく

変わるべき方向に目を

向けなさいと言うのが

少し前までの私の仕事でしたが

今ではりゅうくんが私を

引っ張ってくれています

どちらの役割も感覚も

全て必要なものであり

必要は全て神様が既に

必要な場所へと配置しています

一人ひとりが自分の役目を

こなすことで神様のみこころは

地に現れていきます

人がやることは虚しく

それが積み上がることが

許されないなら むしろ

守られている証拠です

私たちの常識や私たちの努力ではなく

ただ 神様の物語が紡がれていく

そういう世代であると感じます

神様だけが 私たちの希望で

あることに感謝します❤️

記事一覧へ戻る