癒しを受け取る姿勢 – DIARY WITH GOD

2017.01.11

今日は 癒しを受け取る姿勢について神様から示されたことを書きます

子どもが風邪で熱を出して身体が辛いうちは寝ているのですが少し良くなると動いてしまって風邪を拗らせて長引いてしまう

ということはよくある話だと思うのですが

私の場合は「首の奇形」という目に見えない障害であったためにそもそもで痛みの原因がわからず

誰もそれを止めることがなかったどころか動かないとサボっていると言われてしまい心も体も思い切り拗らせてしまいました

そもそもで「生まれつき」だとわかった時では上手に一生付き合っていくしかないな

と思いました

元が奇形ならそれは個性です

自分の個性を知らなかったために無理をして痛めてしまったことを悔いたことはありましたが

「奇形ではない自分になりたい」とは思ったことがありませんでした

サボっているとか言う人がいてもああこの人は無責任な人だな

ぐらいにしか思いませんでした

無理をしろと言う人が私が無理して体調を崩したとしても自分の発言に責任を取るはずがありません

私には 自分の肉体と共に生きることに責任があります 痛い目を見るのも自分です

なので完全に無視をしていました

これが冒頭で言うところの「拗れ」の部分です

ところが神様は この痛みから私を解放してくださろうとしています

しかし そのためには私が個性だと思っていたものを手放す必要があります

更に この痛みから解放されるためには私が無視をしてきた人のことを赦す必要があるのです

ここに 自分を低くするというチャレンジがあります

自分が個性だと思っていたものを手放すことは自分のアイデンティティを捨てることです

そして 自分を捨てるためには捨てるべき自分を悪く言った人を赦して祝福する必要があるのです

赦すと何が起きるかと言えば無関心だったものに対して愛が流れてきます

これは人間関係の回復でもあるのです

神様は 私のことを痛みの呪縛から解放したいと思ってくださっていてそこには愛の回復が不可欠だということなのです

神様の愛に応えたいと思った時自分の思いなど関係ありません

癒したいと思ってくださる思いに感謝をしてただそれを喜んで受け取るだけです

受け取った時 自分自身がどれ程に大きな自由を手に入れたのかに気が付きます

嫌なことを言われてそれを無視することは実はかなりな束縛となっているものなのです

愛と赦しは全てのしがらみから自由にしてくださいます

本当に 愛してくださり感謝します♡

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