自分が呪いとならないために – DIARY WITH GOD
2017.02.14
今日は とても不思議な夢を見ました
一度起きて もう一度寝たのですが同じ夢(夢の続き)を見ました
更に 起きた時には夢の解き明かしの啓示がありその啓示がとても大切なものでした
夢と啓示の内容を全て書くと大変ややこしいので割愛しますが
平たく言うなら
人の思いは人を縛り神様の解決が現れることを妨げる
ということです
これは 思いを持ってはいけないということではありません
自分の思いを持っていたとしてもそれに固執せずに神様の方法を求める姿勢が大切だということです
これについては ゲツセマネにおけるイエスさまの祈りが大変参考になります
イエスさまが十字架にかけられるために祭司たちに捕まる直前の祈りです
マタイの福音書26章39節それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
十字架刑というのは 余りに残忍過ぎるとして廃止された極刑です
その十字架に向かう前 イエスさまは極度の緊張状態でひれ伏して祈ります
「できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」
ご自身の運命をご存知だったイエスさまですが出来ることならこのことから逃れたいと思われます
ですが同時に
「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」
と 神様の方法に委ねるのです
ですが 多くの人は自分の思いを祈ります
更に言うと 他人のことについても自分の思いで祈ってしまう人がいます
しかしそれは 愛の祈りではなく祈りによるコントロール=呪縛なのです
神様は人に自由意志を与え一人一人の思いを尊重されているので1人でも違う思いを持つ人がいれば先に その人の思いを整えるように促されます
自分のことを祈るときは勿論ですが
人のことを祈る際にも自分の思いが神様の邪魔をしないように
神様のご計画が現れるように祈ることはとても大切だと思っています