人の思いとさよならをする – DIARY WITH GOD

2016.11.10

クリスチャンになってすぐの頃の話ですが

独り暮らしの実家の母が緊急入院をしたため入院費を郵便局から引き出して欲しい

と依頼をされたのですが

これとこれを持って何時までに郵便局に行けばお金降ろせるから!

と 母が説明する内容が それじゃ絶対代理人にお金を降ろさせてくれないだろう

というものだったのですけど

その電話を受けた直後に神様からそこの郵便局で尋ねなさい と示されたのでたまたま目の前にあった郵便局に飛び込んだ

すると ものすっごーい親切丁寧な局員さんが詳細を教えてくれた上に 書類までくださった

お陰で不安もなく 万全な準備をして指定の郵便局に行くことが出来たのでした

神様の目線

お金のことだし 今後母が妹に同じことを依頼する可能性もあるだろうと思ったので

母に あなたの説明だけでは不足していてこのような書類が別途必要だったよと いうことを念のため伝えました

しかし 母はプライドが高く人から学ぶことが苦手な学者タイプで物凄い勢いで逆切れされました

うわもー面倒くさいなぁ と思いつついつものことではあるのでまたか と思う程度だったのですけど

神様が それでいいんだよーと 仰るのです

その時は雨が降っていてどんよりとした曇り空だったのですが

突然目の前の雲が切れて光が降り注ぎ理由もなく涙が溢れました

「それでいい」の意味はよく分かりませんでしたが

素直になれないけどお母さんはあなたのことを思っているよ

ということを感じました

ちなみに その後気付いたことは

母は 口ではなんやかんや言いつつも後できちんと教わったことを覚えていて

尚且つ 自分は最初からそれを知っていたと記憶しているのです^^;

プライドってほんとめんどくさい…とは思いますが重要なことは 間違えた知識で周囲を混乱させないで欲しい ということなので

学習してくれているならいいか と思いました

今思うと 神様が仰った「それでいい」は母の思いについてだけではなく

きちんとあなたの思いは伝わってるから大丈夫だよ という意味もあったのかもなぁ

と 思います

言葉は思いから出る

どうしてそんなことを急に思い出したのかというと

今日 りゅうくんが遅刻ぎりぎりで自転車で駅まで移動していたのですが

自転車置き場から駅まで行く間に電車の時間を調べる余裕はないだろうから何時の電車なら間に合う ということをメッセンジャーで伝えようと思いました

ですが書きながら

こんなの見ずに走ってくれると良いなぁ駅についてからこれを見て確認するのでいいよな

と 思っていたのです

すると暫くして

走ったから1本前に着けたメッセージ見てたら次のでもいいかって安心して歩いて間に合わなかった

と返信が来たのです

これ 本人には悪気がないどころか教えてくれてありがとうと思っているんです

それはわかっているのですけどでも こんな言われ方をしたらメッセージがあるせいで遅刻したかもと言われているような気になります

走って良かった 神様だねってことを言いたいだけなんだと思うのですが

どうせ神様が守ってくださったのだろうから混乱させるような情報を送るのはお節介だったな と 思いました

すぐに神様から それは違うという示しがありました

心配をしてメッセージを送ったことはきちんとりゅうくんが間に合ったことに役立てている というのです

確かに 思い当たることはあります

私がりゅうくんの帰りの時間に雨が止むように真剣に祈ったときはきちんと雨が止んだり小ぶりになるのに

りゅうくん一人だけが祈ったときには雨が止まず レインコートを着たために泥跳ね被害から守られたから返って良かった

等々

祈ろうと思う心や 何かを行動しようという心が自分から出たものではなく神様から与えられたものだと感じることは多々あるのです

今回の件がどういう意味でお役に立てているのかはわかりません

ですが確かにメッセージを書きながら

こんなの見ずに走ってくれたらいいな後でこれ見て安心できるならそれでいいな

と思い その通りになったのです神様は 私の願った通りにりゅうくんを間に合わせてくれているのです

結局 踏みにじるのは人の言動だということです

豊かさに心を明け渡す祈り

りゅうくんは神様に対して謙遜ではありますが

受ける恵みの大きさをプレッシャーに感じそれを踏みにじりダメにしようとする発言をすることが多々あります

というか それで実際に踏みつぶすことも多々あります

ですが そのことは自分にも身に覚えがあるのです

クリスチャンになってすぐ 神様から連続して何度も何度もあり得ない と思うようなみ恵みを貰い続けてしまったとき

最初の1~2回は 素直に喜んでいたのですが3回目ぐらいから何だか不安になってきて

自分のミスでそのみ恵みを台無しにしてしまったのです

物凄い凹みました

不安に思ってしまい 疑ってしまったことを物凄く深く反省して 悔い改めのお祈りをしました

本当にごめんなさいみ恵みをダメにするなんて本当にあり得ない

ですが私のこの不安に思う気持ちは自分ではどうにもできないので神様がこの思いを取り 私の地境を広げてください

と すごくすごく祈りました

その後は気付けば一切 不安を抱くことはなくなり神様が祈りを聞いてくださったことに感謝しています

他にも 例えば占いや風水 偶像の祈りなど神様が忌み嫌われる知識についても

知って 覚えてしまっているものですからふとした時に思い出してしまうのです

その度に 神様 この記憶を本当にどうにかしてください消し去ることは無理でも思い出さないようにどうか助けてください と思い出してしまう度に必死に祈っていました

これには時間がかかりましたし勿論記憶が消えたわけではありませんがそれでも 思い出さなくなるようにはなりました

これは癒しについても同じです

怪我や病気に対して治るのにこれぐらいかかるであるとかこれが効く これをやったら悪化する等々たくさんの情報や知識を持っています

だけど それら物理法則を超越して神様は癒すことが出来る方だ!ということを信じて癒しを受け取らなければいけない

そのことを 手を変え品を変え日々多くの面に感じています

天の御国の文化を自分のものにするには神様による体験と時間が必要なのです

神様が与えたいもの

よく 癒しのお祈りに関して

祈ってもらったときは良くなったけど帰ったらぶり返してしまった

という話を聞くのですがこれこそ正に 人の思いで神様の奇跡を台無しにしてしまう例です

ですが そのこと自体は仕方がないと神様はご存知でいらっしゃる

それに対して神様は 自分の思いや努力で乗り越えようとするのではなく祈り向かってほしいと思っていらっしゃいます

自分の思いを変えることや記憶を消し去ることは不可能です

ですが 神様の方を向くとき神様のことだけを見つめる時

神様に祈り向かう時に神様は 奇跡を下さる方なのです

自分の不信仰で台無しにした と凹んで自分には愛される資格がないと思ったり自分の努力(洗脳)で変わろうとすることを神様は望まれていません

神様 これいらないです取って!と叫ぶ時に神様はきちんと取り去ってくださるのです

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